鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

働き人( 多くの部分から成る体のように )

 
 今日は温かい日でした、気温も20度にもなったようです。しかし、今日は風が強く吹き、春一番と言うことでした。2月も半ばを過ぎ、間もなく3月です。あちらこちらに春が来ていますが、三寒四温であり、温かい春はもうすぐでありましょう。
2月の歩みをしているとき、2月は日本基督教団常議員会が開かれる月でもありました。教団の職務から引っ込んだ者でありますが、つらつらと教団の活動を思い出しております。今更振り返ってもしょうがないのでありますが、第37総会期の歩みを祈るものとして記しておきましょう。常議員は昨年の10月に開催の日本基督教団総会で選任され、第一回の常議員会が12月に開催されましたので、次回は7月になります。その次が10月に開催され、そして来年の2月に開催されることになっています。常議員会については昨年10月25日付の日記で記していますので、今回は記しませんが、第37総会期の各委員会が活動を始めた時期と言うことになります。教団の常設委員会としては、宣教委員会、教師委員会、信仰職制委員会、教師検定委員会、予算決算委員会、世界宣教委員会、伝道委員会、教育委員会、社会委員会があり、委員会は7人で構成しています。これらの委員会が教団の宣教を担っているのです。 
常議員会の下にある委員会として、在日大韓基督教会と日本基督教団との宣教協力委員会があります。この委員会は5人の構成員ですが、議長、副議長、書記そして宣教委員長と在日韓国朝鮮人連帯特設委員会の委員長が加わります。書記を担いましたので、8年間この委員会に連なり、在日大韓基督教会の皆さんと協議会に臨んでまいりました。毎年開催されますが、在日大韓基督教会は2年に一度開催される総会で、総会長が代わることになっており、いつもメンバーが交替されていました。この協議会のために大阪、箱根、石和等に出張しました。さらに常議員会の下にある委員会として在日韓国朝鮮人連帯特設委員会があります。そして、地震等災害が起きたときに組織される、「○○地震」被災教会会堂等再建支援委員会があります。以前は新潟県中越地震の時にも特別委員会として組織されましたが、今は使命を果たして終了しています。その他、日本伝道150年記念行事準備委員会が組織され、これらも使命を終えて終了しています。その都度、必要な委員会を立ち上げては取り組んでいるのです。昨年2月に開催された第36総会期第4回常議員会で、常議員会の下にある委員会として、教区活動連帯金検討委員会が発足しました。その委員長を担いましたが、委員会で決める方向は常議員会を経て教団総会議案になりますので、2月からの協議では十分な協議ができず、第37総会期に継続したのでした。この委員会の行方については気になっています。
書記になる前は教師委員会委員を担っていました。教師委員会は新しく教団の教師になる皆さんに対して、新任教師オリエンテーションを毎年伊豆の天城山荘で開催することでした。そして、神学校を訪問し、懇談することになっています。もし、戒規の問題が出た場合、この教師委員会が扱うことになっています。熊本白川教会問題が浮上してくるのは、教師委員会の2年目でありました。さらに北村慈郎教師戒規問題等を抱えることになり、教師委員を一期2年間務めたとき書記に選任されましたので、直接関わることは無くなりましたが、その後の教師委員会は重い課題を抱えることになり大変でありました。教師委員会委員長になられた人が、本来は私が委員長になるべきなのに、書記に取られて残念であるとこぼしていました。
忙しかった教団の職務を顧みました。皆さんにとっては、あまり関心もないのでしょうが、このような働きがあって日本基督教団が支えられているのです。教会によっては、牧師が教区や教団の職務を担うことに反対される場合がありますが、自分の教会だけを考えるのではなく、全体教会を祈りつつ支えることで、自分の教会の進展が導かれるのです。
<聖書の言葉>
体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。
(コリントの信徒への手紙<一>12章12節)