鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<401>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<401>
2016年3月2日「歴史に刻まれてはいるが」



聖書の言葉
シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。私も言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上に私の教会を建てる。
(マタイによる福音書16章17-18節)



2月27日は神奈川教区の総会が清水ヶ丘教会で開催された。2010年10月からはどこの教会にも所属しない無任所教師になり、それ以来、教区総会には出席していない。まったく出席しなかったのではない。知人が教区総会で按手礼を受けることになったので出席している。その按手に加わることが必要なのである。大塚平安教会の小林美恵子さんの按手礼であったからだ。大塚平安教会在任時代、小林美恵子さんに伝道者の道をお勧めする。彼女は神様の召命と信じ、神学校に進み、そして上倉田教会に伝道師として招かれる。その後、正教師試験に合格し、教区総会で按手礼を受領することになったのである。なんとしてもお祝いのために出席したかったし、牧師になるための按手に臨みたかったのである。按手礼とは、教区総会にて、既に牧師である皆さんが新しく牧師になる人の頭に手を置くことである。一人の人に多くの人が同時に手を置くことはできないが、後ろの人は前の人の肩に手を置くことで按手とするのである。2015年2月28日であるから、丁度一年前になる。
今回、神奈川教区総会に出席したのは、「神の庭・サンフォーレ」支える会のアピールをするためであり、按手礼が目的ではない。それも総会終了時に行うので、予定では午後4時に終ることになっており、午後2時頃に会場に赴いたのであった。総会は午前10時から開催しているのであるが、もはや隠退をしているので、大切な議案があるにしても、直接的なことではないので、敬遠したと言うわけである。議場は予算案について協議しているところで、相変わらず様々な意見の応酬であった。そして、総会終了時にアピールを行うのであるが、議員は立ち上がって帰る所であり、ざわざわしている中で、アピールを行う意味を考えさせられるのである。神奈川県にはキリスト教シニアホーム、「神の庭・サンフォーレ」と「サンフォーレ戸塚」があることをお知らせすることである。教会に案内書を送っても、多くの場合、牧師は他の書類と共に机の上に積み上げている。教区総会の議場にポスターを配布したのは、教会の玄関ホールに掲示してもらいたいとのこと、信徒の皆さんが牧師に促してもらいたいということであった。少しでもアピールを受け止めていただけたらこの上ないことである。
総会が終わり、知人たちと久しぶりに会ったのであるが、それだけ星霜の移ろいを示される。白髪が増したり、薄くなったりしている様を見ながら話すうちにも、自ずと身体のことが話題になる。薬をどのくらい飲んでいるとか、健康のためにこんなことをしているとの話題になるのである。昔、共に歩んだ知人たちの現状を示されるとともに、総会出席の議員が若返っていることを示されるのであった。
1979年9月からこの神奈川教区内の大塚平安教会の牧師となる。数年後には教区総会書記に選任され、4年間務めるが、その後は常置委員となり、副議長2年、議長4年を務めることになる。議長を退任した後は日本基督教団の教師委員会委員を2年務め、教団総会書記として8年間務めることになったのである。2010年3月に大塚平安教会を退任したが、教団書記はその年の10月まで務めることになる。このように振り返ると、大塚平安教会時代は神奈川教区、日本基督教団の職務を担いながらの30年間6ヶ月であったのである。
だから教会の職務、幼稚園の職務がおろそかになったとは思わない。教区・教団の職務を担いながらも、何よりも教会や幼稚園の職務を中心にしながら務めたと思う。日本基督教団の常議員会が開催されたときのことである。その当時は神奈川教区の議長であり、教区議長は常議員会に陪席しなければならない。夜になって連れ合いから連絡が入る。一人の教会員が明日は手術であり、牧師先生にお祈りしていただきたいとの電話があったという。その方が入院していることについては伺ってもいなかったし、本人も伏せておいたのであろう。しかし、いよいよ手術を前にして、不安を抑えられない。それで、常議員会はそこで失礼し、すぐに海老名の病院へと向かったのである。日本基督教団西早稲田にあり、高田馬場が最寄り駅である。新宿に出て小田急線を利用するのである。病院に着いたのは、もはや夜の10時にもなっていたが、手術を控えていたその教会員は、牧師の顔を見て、安堵される様子を示されたのであった。
もちろん、損得で教区・教団の職務を担ったのではない。神様が私の賜物をお召しになったと思っている。神奈川教区の教会のため、日本基督教団の歩みのため、歴史を刻むことができたと思う。2010年10月に開催された教団総会で書記を退任したのであるが、その時、一人の方から、「教団書記なんかして、何かいいことあったか」と問われる。その問いを受けながら、総会議場で書記退任の挨拶を行う。「8年間の書記の務めで、教団の歩みを記録させていただいた。これは大きなことであり、自分を称えておきたい」と述べたものである。拍手をいただきながら壇上を降りたのであった。



30年間6ヶ月、在任した大塚平安教会とドレーパー記念幼稚園。



神奈川教区総会が開かれた清水ヶ丘教会。



総会の議場。



2015年2月28日、按手礼を受領した小林美恵子さん夫妻と記念写真。