鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

父の遺産( 隣人を喜ばせつつ )

 
 今日は土曜日なので、病院は午前中であり、連れ合いのスミさんは朝のうちに病院に行きました。行くときは車で送りますが、最近は自分で帰って来るのです。横浜市のシルバーパスをもらっているので、バス、地下鉄、シーサイドラインは無料なのです。病院からバスで二つ目の停留所で下りれば、そんなに歩かなくても帰れるからです。それで、もうそろそろ帰って来るのではないかと思っていましたら電話があり、横浜屋にいるというのです。バスで大道にあるスーパーに買い物に来たというのです。腰が痛いと言いながら、遠征するようになったのですから快方に向かっているのかもしれません。そこまで迎えに行き、途中クリエイトにより帰りました。車から降りると、道を挟んだ隣の家の前で話しこんでいる二人の婦人がいました。一人はその家の人ですが、もう一人は見たこともない人でした。それでも会釈すると、お二人とも会釈されるのでした。車のトランクから買い物を降ろしたりしていると、今までお話をしていた、その家の人ではない婦人が近づいて来ました。「政次郎さんの息子さんですか」と言われるのです。「よく似ていますね」と言われ、父にはいろいろと世話になったことをお話されるのでした。その方のお連れ合いと父とは同じ会社に勤めていたということでした。その方は89歳と言われましたから、父とは20歳以上も離れているのです。父がそのご夫婦のお世話を何かとしてあげていたようです。今、住んでいる家も父がお世話をして住むようになったということです。父は山の斜面を開墾して畑を作っていました。野菜が取れたと言ってはお届けしたようです。もちろん父はその家ばかりではなく、ご近所や親族が比較的近くにいますので、配って歩いていたようです。声をかけてくださった方は、母のことまで言われていました。優しいお母さんでしたと言われるのです。いつも優しい言葉をかけてくださいましたと言われ、母の存在を喜んでおられたということです。
 父が亡くなり、姉は入院中であり、私を始め家族が順次留守番に来ていました。あるとき一人の婦人が訪ねて来られました。「こちらのお宅に近づいたら、お線香の匂いがするので、もしやと思いました」と言われ、父が二週間前に亡くなったことを悲しんでくださいました。その方とも行き来し、やはり収穫物を持って行ったり、お話に行っていたようです。しかし、最近は父が高齢となり、その方が時にはお訪ねくださっていたのでありました。父から源平桃をいただいて、今では見事に咲いていますと言われる方、国民年金でお世話になりましたと言われる方、父に対する評価を多くの人から聞いています。父は会社を定年退職した後は、国民年金の加入に力を注ぎ、その頃も未加入者が多いようでした。いろいろな人を訪問しては、国民年金に加入することを勧めたのでした。源平桃については檀家になっているお寺にも苗を寄付しました。それが大きくなり、これから咲きはじめる季節になっています。お寺に行くと和尚さんが、「お父さんからいただいた源平桃がきれいに咲いています」と言われるのでした。
 父はなかなかの外交官であったようです。それも皆さんのお世話役として、いろいろな人とお付き合いをしていたのでした。ですから昔からの人にお会いすると、「お父さんには、本当にお世話になりました」と言われるのです。人様から喜ばれていた父を示されているのです。いつもは、何かにつけて母のことを記していますが、父の世にある存在こそ、子どもたちへの遺産でもありました。「あなた様はキリスト教の方とか」とも言われ、父の外交上、息子がキリスト教の牧師であることを、誇りを持ってお話していたようです。その父の葬儀は仏教により盛大に執り行いましたが、花輪の最初が大塚平安教会でありました。キリスト教の牧師が仏教のお葬式の喪主であること、父が皆さんにお話していた息子なのですから、何の不自然さもなく、多くの人々が葬儀に臨んでくれました。父の遺産は世の人々の喜びであったのです。
<聖書の言葉>
わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。
(ローマの信徒への手紙15章1節、2節)