鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

ノルトン協力伝道( 神の名のために )

 1月23日から24日にかけて神奈川教区の教職研修会が開催され、連れ合いのスミさんと共に参加したことについては既に記しています。その時、大塚平安教会は湘北地区にある教会で、その地区内からも参加している牧師がいました。その牧師は、私が昨年3月まで担っていたノルトン協力伝道互助基金管理運営委員会を引き継いでくれるようになったのです。その基金について話し合ったりしました。そのためノルトン先生を心にとめさせていただいたのでありますが、そのノルトン先生が今は天におられることも示されているのです。実はノルトン先生が召天されたことについては、昨年10月に開催された日本基督教団総会で知りました。総会二日目の朝は逝去者記念礼拝です。逝去者は日本基督教団教師を記念するものですが、教団に関わった宣教師の先生たちも記念することになっています。その逝去者名簿にノルトン宣教師の名があり、もうそのようなお歳なんだと受け止めたのでした。2010年1月4日、アメリカのコロラド州デンパーにて逝去され、89歳でした。日本には34年間宣教師として働かれましたが、最後の3年間は湘北地区で私たちと共に宣教を担ってくださったのです。
 1979年に大塚平安教会に就任しましたが、4年後に神奈川教区の書記に就任しました。その時の内藤協議長が、教団宣教師であるリチャード・ノルトン先生が神奈川教区で働きたいと申し出ているが、湘北地区で受け入れてもらえないかとの相談をされてきたのです。早速、地区の委員会で相談し、協力伝道を推進することにしたのです。1983年4月より1986年3月までの3年間でした。湘北地区は「ノルトン協力伝道」と称して、地区内の伝道を推進致しました。湘北地区には17の教会がありますので、各教会はノルトン宣教師と相談し、伝道を推進するように呼びかけました。ところがそれぞれの教会は、ノルトン宣教師と共にどのように伝道したらよいのか、分かりませんでした。それでとりあえず日曜礼拝の説教者としてお招きしたのでした。一通り教会で説教をしたとき、ノルトン宣教師は、自分は長い間日本にいても、やはり日本語は十分ではなく、メッセージも伝わらないことが考えられると言われました。自分の使命は各教会のお手伝いをすることだと言われるのです。それは信徒訓練、役員研修会、教会暦による教会の歩み等で伝道を推進することであると言われたのでした。早速、各教会はそのような取り組みに入りました。大塚平安教会も教会暦による歩みについて研修したりしましたが、お連れ合いのメリー・ノルトン先生には、ドレーパー記念幼稚園においてお母さん達のバイブルクラスを開いてもらいました。お母さん達も英語に触れながらの聖書の勉強を喜んだのであります。
 3年を経たとき、ノルトン先生夫妻はアメリカに帰国することになりました。その時、ノルトン先生の日本での伝道のために、アメリカの知人達が献金してくださっており、約82万円あり、それを施設や教会に献金したいと申し出られました。お金を分配してしまったらそれまでです。それはそれで意義がありますが、この湘北地区で働かれた足跡を記念することにしたのです。すなわちノルトン伝道互助基金を設立させたのでした。3年間、各教会は献金をして協力伝道を支えました。その残金が約8万円、そしてその年の湘北地区新年合同礼拝の席上献金6万円を組み入れて基金といたしました。この基金は教会が一時的に資金を用いたい場合に、また教会の修理等で必要な場合に貸し出すものとしました。基金としたのは、後世に残すためであります。利用した教会は返済することを目的としました。この基金を利用した教会があり、ノルトン宣教師の名による教会の修理を行ったのでした。
 もはや25年が経過していますが、ノルトン宣教師のお名前は湘北地区に残されているのです。毎年3月に開催される地区総会では報告がなされるからです。貴いお働きでした。
<聖書の言葉>
神はあなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。
ヘブライ人への手紙6章10節)