鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

病院考( 治してもらえると信じつつ )

 
 連れ合いのスミさんの腰の痛みは相変わらず続いています。それで病院を変えることにしました。今までの病院の先生が良くないというのではありません。むしろ、親身に診てくれていました。しかし、横浜南共済病院は大きな病院であり、患者さんが多く、リハビリ等も時間が取れないようです。別の病院にすることにしたのは、そこがよろしいと教えてくれた人がいたからです。先日、スミさんは美容院に行きたいと思いました。今までは大塚平安教会の周辺、さがみ野駅の近くの美容院に行っていました。9月末までは綾瀬ホームやさがみ野ホームの礼拝、10月末までは学校法人大塚平安学園の理事会等で綾瀬に行く機会があり、スミさんも一緒に行き美容院等に寄ったりしていたのです。しかし、こちらではどこの美容院に行って良いのか分かりませんでした。それで、私が今までに二度ほど行ったことのある床屋さんにお願いしましたら、普段は女性のカットはしていませんが、やってくれるというのです。この床屋さんについては10月20日の日記に記しています。早速、そこでお願いすることになりました。行くときは私が車で送りましたが、帰りは一人で歩いて帰ってきました、比較的近い場所であったのです。その時、腰の痛みなど話したのでしょう。どこそこに整形医院がありますということを伺っていたのです。それで、その床屋さんに改めて整形医院について電話で伺い、早速行くことになったのです。スミさんを医院に送り、私は家に帰りましたが、そんなに時間を経ないうちに電話がありました。とても良い先生で、もともと横浜南共済病院で整形を担当していたと言われます。その医院のあるビルは他の医院があり、ビルが集合医院になっているのでした。だいたいは横浜南共済病院でそれぞれの担当をされていた先生達とのことでした。今までの病院から紹介状をいただいてもらいたいということで、迎えに行ってからそのまま共済病院に向かいました。新しい医院に通いつつ治療に専念することにしたのでした。
 病院の待合室に座って待っている間、私自身が病院でお世話になったことが思い出されてきたのでした。最初に入院したのは、青年の頃、追浜にある湘南病院でした。蓄膿症の手術をして1週間ばかり入院しました。その後、入院するのは30歳を過ぎていましたが、青山教会時代に腰痛で1ヶ月入院しました。そして、宮城の教会時代にも腰痛で1ヶ月入院しました。この入院については1月18日の日記に記しています。大塚平安教会で牧会するようになり、15年を経た頃、声帯ポリープ手術で北里大学病院に入院しました。声の調子がよろしくないので診てもらいました。診察の結果、声帯にポリープができているということでした。このときは全身麻酔で行われたので、手術の状況については分かりません。約1ヶ月入院しましたが、その後もしばらくは声を出すことは禁じられていました。とはいえ、ついお話をしてしまうのでした。その後は長期の入院はありません。三日ほど入院するのは大腸にポリープがあるというので手術しました。お医者さんが三日間の入院というので、教会と幼稚園、その他の段取りをして入院しました。その日のうちに手術が行われ、翌日になったら経過が良いというので退院してもよいというのです。しかし、この日に退院すると水曜日であり、水曜日祈祷会の段取りをしてあるので、帰るわけにはいきません。それで、お医者さんにお願いしてもう一日入院させていただくことにしたのです。ベッドに横になっているというのも気が引けるのですが。
 振り返ってみて、そんなに大きな病気もなく、今日まで健康に過ごすことができて感謝しています。病院で働く人々、病院を必要としている人々、家族や知人が入院していることで、病院に来る人々、いろいろな人々との出会いが与えられています。そこには、皆さんはせつなる祈りをもって病院に来ていることを示されるのです。これらの祈りを常に覚えることを示されるのです。ともすると健康を喜ぶだけで、祈りの人々を思わなければならないのです。
<聖書の言葉>
すると、そこへ12年間も患っている女性が近寄ってきて、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。
(マタイによる福音書9章20節)