鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

学校の礼拝( 軽んじられないために )

 
 今日は日曜日、礼拝をささげる日です。六浦谷間の集会として、自宅で礼拝をささげ始めて今日で9回目になります。今日は連れ合いのスミさんと二人だけの礼拝でした。過去、8回の出席平均は3.5人になります。いろいろな状況にある皆さんが出席されました。小さな礼拝ですが、意味ある集いと受け止めています。
このときいろいろな礼拝に関わったことが心によみがえっております。一つは学校の礼拝です。神学校を卒業して、最初の任地は東京の青山教会でした。4年間、副牧師として仕えました。連れ合いのスミさんが結婚しても明治学院に勤めていたこともあり、明治学院大学の礼拝に招かれました。大学生が大勢出席するのかな、と思いつつ臨みました。しかし、出席は自由ですから、あの広い礼拝堂には、数えるほどの出席者であったのです。しかし、出席が自由なだけに、出席する皆さんは熱心に礼拝に臨んでいるのです。その時、今は天におられる園部順夫さんがオルガニストであり、パイプオルガンの重厚な聖歌を聴かせていただきました。
次に学校の礼拝に臨むのは、青山教会の後は宮城県の教会に赴任してからです。その頃、宮城学院が中高科のクリスマス礼拝にお招きくださいました。緊張して説教を担当しました。いつもは20名前後の教会の礼拝です。こちらは全校生徒の出席で、中学生・高校生1000人以上いたと思います。礼拝の終わりにハレルヤコーラスを合唱しました。迫力ある賛美であったと思います。しかし、今でも後悔していることがあります。合唱のとき、私は起立しなかったのです。会衆席にいた先生達は起立していました。ところが司会をしていた先生が私の隣にいたのですが、その先生が起立しないものですから、私もそのまま座り続けていたのです。起立すべきであったと今でもその時のことを思い出しているのです。
宮城の教会に6年半いましたが、その後は大塚平安教会に赴任しました。こちらに赴任してからはいろいろな学校の礼拝に招かれています。明治学院横浜キャンパスの礼拝に招かれましたが、大学は出席自由ですので、高輪の明治学院と同じように数えるほどの出席者でした。フェリス女学院の中・高科の礼拝に招かれました。それこそ1000人を超える生徒達の整然とした入場、退場が印象的でした。緑園都市にあるフェリス女学院大学においては2度ほど招かれています。知人が教授をしていたからでもあります。横浜英和女学院中・高科礼拝にも招かれました。大塚平安教会に出席する中学生がいたこともあり、親しく臨んだことを覚えています。中・高科の礼拝は授業の一環として行われますので、義務的に出席している生徒の皆さんもいます。それでも一生懸命に聞いている生徒もいます。聞いている人、聞いてない人に構わず、御言葉を取り次ぐ勤めがあるのです。どこかで福音の喜びが与えられるからです。学生時代に礼拝に導かれ、神様に向かうときを与えられることは、祝福の人生へと導かれるでしょう。
出身の日本聖書神学校でも招かれて礼拝説教をしました。卒業礼拝であったと思います。卒業式であり、卒業生が所属する教会の皆さんも出席しています。また、卒業した牧師達も出席しています。学生、教授の皆さんが出席しています。一番緊張する礼拝でもあります。学生たちは説教学を学び、説教を批判的に受け止める人もいるのです。何を学んだとしても、御言葉に向かうことは、説教者のメッセージと共に、自らが御言葉を受け止めなければならないのです。かつて神学校に入学した時、それまでは説教を神様の導きの声として受けとめていましたが、批判的に説教を聞くようになりました。説教学、牧会学等を学ぶとき、説教を御言葉としては聞かなくなっていたことを思い出します。要するに生意気になったということです。
学校における礼拝、説教を思い出しましたが、若き日に自分の意思でなくても、神様に向かい、御言葉に向かう時が与えられることは喜びであり、祝福であるのです
<聖書の言葉>
あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。
(テモテへの手紙<一>4章12節)