鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

教誨師の活動( 愛に訴えつつ )

 昨日は刑務所の教誨師として活動したことを記しましたが、今日は実際の教誨について触れておきましょう。日本基督教団は「教団新報」を発行していますが、その4面に談話の欄があり、議長・副議長・書記・総幹事が順次執筆しています。8年間の書記を担いましたが、その談話には30回担当させられました。教会の牧会的なことと共に幼稚園、施設、刑務所、少年院等について記していますので、刑務所に関して執筆したことをここに記しておきましょう。
 「帰住先考」
知人の牧師から電話をいただいた。同じく教誨師を担っている牧師である。この秋に、今まで教誨をしていた受刑者が出所する。教会に出席したいと言っているので、当教会に出席することを勧めて良いかという内容である。
刑務所にしても少年院にしても、出所する人達は帰住先が大きな課題になる。不安を抱えながら帰っていくのである。刑務所の出所者は成人者であるので、必ずしも自分の家に帰らなくても、他の町で働いて生活することが出来る。しかし、少年達は帰住先については不安を持ち続けている。少年院で少年と面接するとき、いつも話題になるのが帰住先である。少年たちは親の保護下にあり、自分の家に帰えらざるを得ない。少年達の一番の悩みである。少年院に入る前の少年の姿は、放火・暴走族・痴漢・万引き・暴力団等であり、帰ってきた少年を以前のままで理解するであろう。今は昔の自分ではない、と思っているのであるが。以前、付き合っていた友達もいる。悪い誘いをどう断るか。人々に何を言われるか。まじめに生活していれば、きっと理解してくれると思います、と健気なことを言う少年もいる。
電話の教誨師の知人には、もちろん受託した。帰住先は異なる町であるが、それほど遠い距離ではない。その町にも教会はあるが、自分を知らない群れのほうが良いと考えるからである。教会は人々の帰住先であることを示したい。
「教会に行ってもいいの?」
 刑務所において、教誨が始まる前、係官が「今日は知的障害の人が初めて希望しています」と言われた。そんな予備知識を持ちながら教誨に臨んだ。この日は始めての教誨が二人と毎回臨んでいる一人で三人の教誨である。初めて臨んだ教誨の動機を聞いた。係官がコメントしていた知的障害の人が、両親がクリスチャンであり、日曜日はいつも教会に行っていたので、自分もキリスト教を知りたくなったと言う。教誨では聖書を輪読するが、彼は字が読めないのでパスをした。しかし、その後の懇談では積極的に質問した。
 教誨を希望する人は、家族や親族の中にクリスチャンがおり、その関わりの中で希望する人が結構いる。お連れ合いの両親が信者であり、義母の葬儀はキリスト教で行われたので、心に残っていたと言われる。あるいは親族が教会に出席していたと言う。刑務所に入って、親族の生き方を理解したくなったとも。今までキリスト教が横にあり、ちらちら見ながら過ごしてきたのである。
 刑務所で教誨を受ける人たちは、社会に生きるとき、何らかの状況の中でキリスト教に関わっている人が多いのである。教誨は改めてそれらの人々に手を差し伸べるときなのである。
 「教会に行ってもいいの?」と驚いたように言う。何処の教会も喜んで迎えてくれるよ、と言っておいた。日本基督教団の看板を掲げている教会に出席しなさいとも。

 もう一度、真面目に人生を生きたいと願っている人々、刑務所の受刑者の皆さんである。社会に生きる人々が、それらの人々を心から受入れる事ができるか、課題がある。
<聖書の言葉>
愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。
(フィレモンへの手紙9節)