鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「隠退牧師の徒然記」<146>

隠退牧師の徒然記(2013年2月1日〜)<146>
2013年2月13日 「重い職務を労いつ」 



聖書の言葉
イスラエルの王はヨシャファトに答えた。「もう一人、主の御旨を尋ねることのできる者がいます。しかし、彼はわたしに幸運を預言することなく、災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます。イムラの子ミカヤという者です」。ヨシャファトは、「王よ、そのように言ってはなりません」といさめた。そこでイスラエルの王は一人の宦官を呼び、「イムラの子ミカヤを急いで連れて来るように」と言った。
(列王記上22章8〜9節)



 前回のブログで、私の最寄り駅、京急線六浦駅付近で思わぬ方に出会ったことを記した。私が石和温泉に向かうときであった。その方については前回記したが、その石和温泉行きを記しておくことにしよう。石和温泉行きは、2012年10月まで日本基督教団の総幹事を担った内藤留幸先生と、常議員として長年任を負われた小林貞夫さんの感謝会を有志で企画して集まることになったのである。お二人とも2012年10月開催の日本基督教団第38回総会において大任を終えられたのである。内藤留幸先生は2007年7月から総幹事に就任される。2001年4月から就任されている竹前昇総幹事が2007年3月で、お身体の具合がよろしくないので退任されたので、内藤留幸先生が7月から総幹事に就任されたのであった。ミスター教憲教規と言われる先生なので、総幹事の職務は続行してもらいたいと多くの皆さんが思っていた。しかし、年齢も80歳を超えられ、ここは休養していただいた方がよいのである。重い職務の総幹事を5年間も担われ、ご苦労さまでしたと申しあげたい。それから小林貞夫さんは長年、常議員として教団の正常化を祈りつつ活躍されてきた。2012年の教団総会で常議員としてのお名前が消えたのは、御病気のために退任されたのであった。今回の感謝会は、小林さんの常議員としての感謝であると共に、出版記念会でもあるのだ。小林貞夫さんは2011年12月、「日本基督教団 実録 教団紛争史」を発行された。この私にもご恵贈くださっている。
 以上のような趣旨のもとに有志で企画された感謝会である。私自身、今は隠退の身分であるが、現役時代はお世話になった皆さんであり、また当日お集まりになる皆さんともお会いしたかったので、喜んで出席したのである。京急線六浦駅から品川駅に行き、そこから山手線で新宿に行き、中央線の特急「かいじ」15時30分に乗ると石和温泉駅には17時03分には着くのである。新宿からわずか1時間30分であるが、車窓を眺めながら、合わせて思い出に浸るのであった。教団の大事な会議や在日大韓教会との宣教協力協議会で、この電車を利用していたのである。もう一つ忘れられないのは、大矢真理伝道師の山梨八代教会伝道師就任式に出席するため、この電車に飛び乗ったという思い出がある。日曜日であったので、礼拝が終わってすぐに大塚平安教会を出る。新宿でとにかく最初に乗れる特急に飛び込んだという思いである。石和温泉駅からタクシーに乗り、随分と乗ったと思うが、ようやく八代教会につき、就任式のお祝いの会はまだ終わってなかったので、かろうじて祝辞を述べることができたのである。むしろ東海教区の皆さんが、教団書記が大矢真理伝道師の就任式に駆け付けたことに対して驚いたのであった。そこで大矢伝道師との関係を紹介する。
 感謝会にはほとんどの親しくしていただいた皆さんが出席した。内藤留幸先生や小林貞夫さんについての感謝の言葉を順次述べる。もっとも小林貞夫さんは御病気であり、この感謝会には出席することは出来なかった。本来なら「教団紛争史」が2011年に12月に出版されているので、もっと早くお祝いの出版記念会を開催されるべきであった。そうであれば小林さんのお元気なときにお祝いできたのである。この「教団紛争史」は貴重な資料になるであろう。小林貞夫さんは「実録教団紛争史」の「はじめに」で次のように記している。
 「日本基督教団創立総会は1941年である。従って2011年で70年を経たことになる。その半分以上にあたる38年間は、いわゆる教団紛争の歴史と重なっている。教団紛争とは何か、その内容はどんなものであったかについては本文で明らかになるが、1969年に始まり、2006年に一応の終わりを示したこの紛争は、日本基督教団にとって、最大の出来事だったのである」と記している。教団紛争は1969年から始まったと指摘されているが、この1969年4月から私の伝道者の歩みが始まったのである。そして教団紛争は2006年に一応の終わりを示したとしているが、私はこの2006年は教団総会書記を担っているときであった。そして2011年6月に隠退牧師になるので、私の日本基督教団における牧師としての歩みは紛争の時代に福音の種を蒔き続けたということになる。
 教団の紛争の時代に重い職務を担った内藤留幸先生や小林貞夫さんに心から感謝する。感謝会が終わり、時間のある人はこの石和温泉の一角にお住まいの小林貞夫さんをお見舞いする。私は失礼して「かいじ」に乗ったのであった。そして、その後、小林貞夫さんが召天されたお知らせをいただく。重い職務を担い続けた小林貞夫さんの「実録 教団紛争史」は私の座右の銘となるであろう。



大塚平安教会の2005年度修養会の講師に内藤留幸先生をお招きする。




「信徒教育について」学習する。