鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <59>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<59>
2012年2月15日 「右にも左にもそれることなく」 


聖書の言葉
一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしの先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。
ヨシュア記1章5-9節)



 日本基督教団の前総幹事・竹前昇先生の召天一周年記念式及び追悼文集出版記念会が2月14日に、日本基督教団松沢教会で開催された。竹前昇先生が総幹事在職中に日本基督教団総会書記に選任されてから6年間、共に教団の職務を担ったので、ぜひ出席したいと思っていた。実は竹前昇先生のご葬儀には列席出来なかった経緯があり、申し訳ないとの思いが残っているのである。2011年1月31日にご葬儀が行われたのであるが、どういうわけかその連絡を受けてなかった。丁度同じ日に日本聖書神学校の前校長・小林利夫先生の追悼記念式が日本聖書神学校で開催されたので、そちらに出席していたのである。同じ日に竹前昇先生のご葬儀が重なり、連絡をいただいて失念してしまったのか、何かの間違いで私に連絡が届かなかったのか、それは分からないのであるが、そのためにも竹前昇先生の召天一周年記念式には出席しなければと思っていたのである。小林利夫先生と竹前昇先生の追悼記念式が重なったので、やはり竹前昇先生の葬儀には列席出来なかったと思う。しかし、分かっていれば弔電を送っていたであろう。
 竹前昇先生の召天一周年の当日は日本基督教団常議員会が午後3時に終わり、4時30分からであれば、教団役員や常議員の皆さんが出席出来るのである。40名くらいの皆さんが出席された。久しぶりに皆さんとお会いし、健在ぶりを喜びあったのである。記念式は元教団議長である小島誠志先生(松山番町教会)が記念説教を担当された。その後、追悼文出版記念会が立食パーティーの形で行われた。教団出版局から竹前昇先生追悼文集「私たちの祈るところ」として出版されている。出版記念会では竹前昇先生の思い出、お人柄、お世話になったことなど、いろいろな方から聞くことができた。ほぼ私が思っていた竹前昇先生の姿を皆さんが証言されたということである。
その追悼文集には求められて私も執筆している。竹前昇先生のお人柄を紹介しているので、ここに引用して竹前昇先生の思い出としておく。しかし、全部を引用するとしたら長文になるので一部のみとし、他は割愛する。




記念式で説教する小島誠志牧師。



出版された竹前昇先生追悼文集「私たちの祈るところ」



「竹前昇先生との出会い」、前教団総会書記  鈴木伸治
竹前昇先生がご召天になられ、大きな柱が倒れてしまった、そんな思いでおります。しかし、教会・教区・教団でお働きになり、大きな足跡を残されました。今後の日本基督教団の歩みの指針となるでしょう。
 私は竹前昇先生とは二つの状況の中で出会いが与えられています。一つは竹前先生が東京教区議長、私が神奈川教区議長のときでした。教区活動連帯金配分委員会の活動がありますが、四教区議長が委員となって担うことになっています。ある年度で東京、神奈川、北海、大阪教区議長が委員となりました。その時、竹前先生が東京教区議長でしたので、ご一緒に連帯金配分について協議しました。竹前先生は教区活動連帯金配分について、研究・調査を提案され、よりよい配分について意見を出されていました。その課題は総幹事になっても担われ、総幹事のもとに教区活動連帯金配分委員会を置くようになったのです。その後、常議員会は教区活動連帯金検討委員会を発足させ、その委員長に私が選任されました。教団書記の退任と共に、その任をおりたのですが、委員長として担う中で、竹前先生がいつもお心を砕いていたことを思いつつ、委員の皆さんと共に担ったのでした。
 もう一つの状況とは、言うまでもなく、私が2002年10月から教団総会書記に選任されましたが、竹前先生は2000年11月から2001年3月まで総幹事代行をなされ、2001年4月から総幹事に就任されていました。そして、2007年3月に退任されるまでの6年間、教団4役として共に働かせていただきました。そのいくつかのエピソードを断片的でありますが記しておきましょう。
毎月、二回くらいの割合で役員会が開催されます。議長、副議長、書記と共に総幹事をはじめとして幹事の皆さんが出席します。冒頭には前回役員会のメモ報告が行われます。いわゆる議事録です。ある役員会の報告は、世界宣教幹事の報告が大半であり、そのため、前回は世界宣教幹事報告会でした、と報告すると、皆さんは笑っていたのですが、総幹事は相好を崩すことなく、鈴木書記は時には面白いことを言うもんですね、と言われるのでした。決して冗談は言わない先生で、いつも真摯に協議しようとしている印象がありますが、ユーモアはそれなりに受け止めておられるのです。
ユーモアと言えば、新任宣教師のオリエンテーションが開かれた時のことです。総幹事が日本基督教団の説明を行うことになっています。三役の一人も出席することになっており、その年は私が書記として出席しました。竹前総幹事は教団の諸分野の取組み等をお話されていました。通訳を介してのお話ですから、時間をかなり要したのでした。続いて、教団としての挨拶を私がしたのですが、冒頭に、新任宣教師の皆さんは竹前総幹事の説明が長かったので言い訳の意味で、「年をとると口数が多くなるので、お許しいただきたい」と言ってしまったのです。通訳の宣教師がしばらく黙っていたので、竹前総幹事は、「いいんですよ、そのまま訳してください」と言われるのでした。日本語が分かる宣教師は笑っていましたが、竹前先生は例によって平然として受けとめておられました。何事にも動じないでいる先生であることを示されています。(以下、他は割愛)。
竹前昇先生との出会いを二つの状況の中で与えられ、思い出すままに記しました。この出会いの中で、そのお人柄、教団に対する姿勢等いろいろと示されました。激動の日本基督教団の中で、平然と、また祈りつつ職務を担った先生との出会いを感謝しております。



一人の偉大な存在を天に送り、自らの歩みを思わされている。私の場合は42年間の現役牧師であり、隠退後も「御言葉に向かう」歩みをしているのであるが、それがこの世に生きた証しであれば、それで良いと思っている。