鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <58>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<58>
2012年2月13日 「御言葉に向かいつつ」 


聖書の言葉
そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った、「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ」。すべてのアテネ人やそこに在留している外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたからである。
使徒言行録17章19-21節)
死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。
使徒言行録17章32-34節)



 昨日2月12日の六浦谷間の集会には私共の子供たちが前日より来宅し、久しぶりに5人で礼拝をささげた。いつもは聖書朗読は連れ合いのスミさんがしているが、今回は輪読としたのである。詩編26編1-12節、ヘブライ人の手紙4章12-13節、 ルカによる福音書8章4-15節による聖書日課であった。今までは日本基督教団の聖書日課により御言葉を示されていたが、2012年になってからはローズンゲンにより御言葉を示されている。日本基督教団の聖書日課は4年が周期で、2007年9月30日の礼拝より説教はプリントしているので、もはや4年を経ており、重複することに懸念をもつようになったからである。2007年はまだ大塚平安教会在任の頃で、説教は次週の礼拝においてプリントして配布していた。2010年3月に大塚平安教会を退任する時、説教集「最初の朝餐」を発行したが、それは2008年中の説教をまとめたものである。説教プリントは退任する時まで続けている。そして2010年4月から9月までは横浜本牧教会代務者を担当するが、その教会でも説教プリントは毎週配布していた。2010年9月5日の礼拝説教からブログで「御言葉に向かう」として説教の公開を始めたのである。説教のブログは毎週100名前後の方がお読みくださっているので、たった二人の六浦谷間の集会における説教であるにしても、意義あることであると思っている。




説教集「最初の朝餐」


 それにしても連れ合いのスミさんは、今日まで43年間、わたしの説教を聞きつつ過ごしてきている。神学校を卒業して最初の4年間は青山教会の伝道師、副牧師であった。その教会では月に一度、説教を担当させていただいていた。その後は宮城県の陸前古川教会に赴任することになり、それこそ説教は毎週のように担当するようになる。当然でもある。陸前古川教会在任中、登米教会を兼任して牧会するようになる。午前中、陸前古川教会で礼拝をささげ、午後は車で1時間くらいの距離がある登米教会の礼拝に出かける。その頃は3人の子供達が与えられており、いつも家族で出かけていたのである。従って、午前も午後も説教内容は同じであり、連れ合いのスミさんも同じ説教を二回も聞くことになる。
 大塚平安教会を退任し、その後の半年間は横浜本牧教会の代務者となり、そして10月から職務から解放され、無任所教師となった。その10月中はわたしの出身である清水ヶ丘教会に出席したり、連れ合いのスミさんの高輪教会に出席したりしていた。そして11月も大塚平安教会に菊池丈博牧師が赴任したので就任式のため礼拝に出席する。横浜本牧教会に森田裕明牧師が赴任し、その就任式出席のため礼拝から出席している。一通りの関連、挨拶を終えた時、今後はどこの教会に出席しようかと思案するようになる。10月から無任所教師になり、ご挨拶で他の教会に出席していたとしても、御言葉に向かい、説教は作成していたのである。既にブログで「御言葉に向かう」として公開していたからである。
 そのような状況で導かれたのは六浦谷間の集会であった。2010年11月28日からたった二人であるが、六浦谷間の集会として礼拝をささげ始めたのである。私の思いとしては、連れ合いのスミさんにとって、今までは鈴木牧師の説教を聞かなければならない状況であったので、これからはいろいろな教会に出席して、いろいろな牧師の説教が聞けるので、むしろ喜びではないかと思ったのである。しかし、連れ合いのスミさんが、むしろ六浦谷間の集会の礼拝を喜び、引き続き鈴木牧師の説教を聞く姿勢をもっていたのである。
 牧師は説教に命をかけている、との感想を聞くことがあるが、確かに御言葉に向かい、語るべきメッセージを示され、準備している。礼拝が終わると、なんとなくホッとするような思いでいる。礼拝が終わり、皆さんをお送りするのであるが、日本人は自分の気持ちを現さないので、当然なのであるが、一言感想を聞けたらと思うのである。その点、今は天におられる石原美保さんは、お帰りになる時、玄関にいる牧師に、「良いお話をありがとうございました」と述べられつつ帰られるのであった。決まり文句であるにしても、うれしいお言葉である。ほとんどの方は説教に対して何も触れずに帰られる。それが当たり前になってしまっていたが。礼拝をささげるために出席しているのであり、説教を聞きに出席しているのではないことは言うまでもない。
 大塚平安教会在任中、日曜日の夕刻、食事の時には連れ合いのスミさんが、「今日の説教、とても示された」と言ってくれることは、何とも慰めであった。そのスミさんは礼拝では、いつも一番前の席に座り、メモを取りながら説教に耳を傾けていた。この六浦谷間の集会では説教はプリントを読むようにしているが、字句の訂正を指摘することはありがたいことである。その説教をネットで公開するので、いわば校正の時ともなっている。改めて、連れ合いのスミさんには、私の至らない説教の聞き手であり、理解者であり続けていることに、心から感謝をささげる。口では言えないのであるが。
 あと何年生きながらえるか分からないが、許されるときまで「御言葉に向かう」姿勢を持ち、六浦谷間の集会を基として、ブログに公開しつつ世に発信していきたいと思っている。