鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <57>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<57>
2012年2月10日 「歳月をかけて」 


聖書の言葉
ソロモン王が主の神殿の建築に着手したのは、イスラエル人がエジプトの地を出てから480年目、ソロモンがイスラエルの王になってから4年目のジウの月、すなわち第二の月である。ソロモン王が主のために築いた神殿は、奥行きが60アンマ、間口が20アンマ、高さが30アンマであった。神殿の外陣の前にある前廊は、奥行きが神殿の間口と同様に20アンマであり、間口は神殿の前で10アンマであった。
主の神殿の基礎が据えられたのが、ソロモンの治世第四年のジウの月、同第十一年のブルの月、すなわち第八の月に神殿はその細部に至るまで計画どおりに完成した。その建築には7年を要した。<注、アンマは肘から中指先までの長さ、約45センチメートル>
(列王記上6章1-3節、37-38節)



 神社仏閣を芸術の範疇で見学していることについては前回記した。その点、プロテスタントキリスト教教会はあまり芸術的な造りはないということである。しかし、中にはつくづく感心するほどの教会建築を見ることもある。全体的に日本的な建築様式で、礼拝堂も和室調に造られている。あるいは鉄筋コンクリート造りでも、いろいろ工夫して造られている礼拝堂もある。そこには神学的な意味を含めながら造られているのでもある。しかし、基本的には、礼拝堂には十字架が掲げられ、聖餐台と洗礼盤が置かれる他は、これと言った装飾はない。パイプオルガンが設置されていると羨望の思いが募る程度である。基本的には礼拝堂は御言葉が語られる場であり、信者が心から祈りと賛美をささげる場である。だから広い空間があればよいことになる。余計な物で飾りたてたりすると信仰の妨げになるからである。
 昨年、娘の羊子がピアノの演奏活動をしているスペイン・バルセロナに45日間滞在した。その間、いくつかのカトリック教会を見学している。フランスのノートルダム教会を見学したが、様々な芸術が施されている教会内を歩き、ただ感嘆の至りであった。まず天井の高さである。室内にいるとは思えないほど、上を意識することなく、空間の中でミサをささげている様を見る。窓はすべてステンドグラスがはめ込まれており、たたずんでいるだけで聖書の示しをいただくのである。礼拝堂を囲むように小集会室が設けられているが、それらのベンチにも彫刻が施されているのである。古い教会も見学したが、基本的にはさまざまな彫刻とステンドグラスの内部なのである。また、外観にしても教会の証しを世に発信している造りでもある。



フランス・パリにあるノートルダム教会



礼拝堂内部。



スペイン・バルセロナにあるサグラダ・ファミリア



礼拝堂内部。


 バルセロナではサグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)を目の前にしながら過ごす。羊子のマンションは西側に位置しているので、マンションの6階の高さからサグラダ・ファミリアの「受難の門」側を毎日のように目線の高さで見ていた。毎日ではないが、いつも教会の外周を見学して歩く。見ても見ても飽きないほど彫刻が施されているのである。また、教会内にも入る機会があったが、すべては芸術であった。そのサグラダ・ファミリアは未完成なのである。一体、あと何年かかるのだろうかと世界の人々が関心を持っている。未完成の教会であるが、毎日の見学者は長蛇の列になっている。
 前任の大塚平安教会は2年前に退任したが、創立62年を経ている教会の建て替えが計画されている。在任中もいろいろな計画の模索をしていた。1989年の40周年の時にも、建て替えを検討したが、複雑な土地事情があり、見送ったのである。その代わり、もう少し使いやすい礼拝堂にするということで改修をすることにしたのである。今までは聖壇の両端は小部屋になっていた。牧師の控室でもあり、もう一つは祈祷室として造られたものである。しかし、物置になっており、本来の使用目的ではなくなっていた。そこで小部屋を撤去し、聖壇を広くしたのである。その時、思案したのが聖壇の正面であった。今までは白い壁に比較的細い十字架が掲げてあった。改修と共に白壁が撤去され、再び元のようにするのか。せっかく正面を広くしたのだから、それなりのデザインというより、神学的意味を施すことにした。それで示されたのが現在の聖壇である。この聖壇について、大塚平安教会50周年記念誌で執筆しているので引用しておく。
<講壇について>
 正面の大きな空間はこの世の様、社会をあらわす。この社会に生きる時、どうしても社会の荒波、あるいは荒野の道を歩まねばならない。正面の壁がごつごつとしたクロス張りとなっているのはその意味である。その荒波、荒野の中に12本の柱が立つ。聖書の民イスラエルの12部族の数であり、主の12人の弟子の数である。「勝利を得るものを、わたしの神の聖所における柱にしよう。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名とを、書きつけよう」(ヨハネの黙示録3章12節)。左右6本ずつの柱の中央に階段があるのは梯子を意味する。梯子の柱と12本の柱が兼用になっている。ヤコブが旅の途上、石の枕で野宿した時、ヤコブは「これは神の家である。これは天の門だ」(創世記28章10-17節)と言うのであった。さらに主イエス・キリストは、「天が開けて、神のみ使いたちが人の子の上に、上り下りするのをあなたがたは見るであろう」(ヨハネによる福音書1章51節)と言われている。私達が主の柱となり、天が開けてみ使いが上り下りするのを見るのは、主の十字架である。この罪の体を清めてくださる主イエス・キリストの十字架こそ私たちの希望である。


 もはや改修会堂の完成が近づいていた。後は正面をどうするかである。そこで、以上のような神学的位置づけが示されたので、その時の大工さんが水出工務店の水出さんであり、口で説明するより模型を作って示したのである。すると水出さんは、「これは大事な場所であり、一緒に手伝いに来ている大工は宮大工もしたことがあり、彼に造ってもらう」と言うことになった。その大工さんは、「これは壁に直接造るのではなく、別に造り、それを壁にはめ込む」と言われたのであった。模型を見ながら水出さんは言ったものである、「それにしても先生は器用だね」と。お世辞だとしても、まんざらでもないので、今でもその模型を飾っているのである。



大塚平安教会。2007年に撮影。




大塚平安教会の聖壇。



実際に模型を作り、大工さんに提示した。