鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <119>


隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<119>
2012年7月4日 「学んだことを実行し」

 

聖書の言葉
終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なこと、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。私から学んだこと、受けたこと、私について聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたと共におられます。
(フィリピの信徒への手紙4章8-9節)




 一昨日の7月2日は日本聖神学校のフィールドワークゼミを担当する。今春、その依頼があったとき、当初は辞退する。2010年10月開催の第37回教団総会をもって4期8年間担った教団総会書記を退任しているし、昨年6月をもって隠退教師になっているからである。もはや教団の現実の取組みからは離れているからである。しかし、神学校としては教団の現執行部には知り合いがいないこともあり、卒業生である私に要請する他はないようである。そのあたりの事情を理解して受託したのであった。ゼミの内容が「教団の課題」であったからである。
 目白には6月17日に赴いたばかりである。古旗誠牧師の目白教会就任式で、連れ合いのスミさんと共にはるばる六浦から出席したのである。やはり自宅からは約2時間はかかるので遠いと思う。ゼミの前、午後6時から礼拝があるので、礼拝から出席するために午後3時に家を出る。この時間は少し早いようである。2時間あればよいのだから。そのため時間調整をするため品川駅の構内の書店で時間をつぶす。それでも早く着くと思いながら神学校に向かったのである。近くに来たとき、ピーコックストアーの前あたりで、知り合いの牧師達数人と出会う。思わぬところで出会うことになったが、教職者の集いとかで日本聖書神学校が会場であるということであった。書記を担っていた頃、委員会で共に課題を担った牧師とも久しぶりに会い、しばしその後のことなどを話し合うのであった。他にも親しい牧師達がおり、手を上げながら再会を喜んだのであった。
 神学校の礼拝堂に入ると、開会にはまだ時間があるが、今年4月から校長に就任した小林誠治先生が知人と話している所であった。私を認めると私のところにやって来てお話することになる。今夕の礼拝説教を担当するということであった。昨年のフィールドワークゼミの時には、この礼拝も担当させられている。今回はゼミだけなので気が楽であった。私が神学校の礼拝堂会衆席に座っているのは珍しいことである。教団書記になってから、何度もこの礼拝堂に来ているからである。卒業式には教団を代表して祝辞を述べること2度3度である。また、ゼミと共に礼拝を担当することも2度3である。何も担当することなく、会衆席で礼拝をささげる恵みを与えられたということである。
 ゼミは午後6時50分から8時20分の1時間30分である。受講の生徒は2名であり、小林誠治校長も出席する。今年度は少ないが、今年の春の卒業生も来年度のゼミ対象者も6、7名はおられる。たとえ2名でも授業である。「教団の課題」をお話するのであるが、資料としては第37回教団総会における山北宣久議長の「議長報告」と、今総会期の石橋秀雄議長の「2012年度教区総会への挨拶」をもとにお話する。この中に「教団の重要課題」が述べられているからである。読みながら説明を加えてお話するうちにも、瞬く間に終了時間となる。昔、私自身が神学生の頃、ある講義に出席したのは私一人であった。7、8名のクラスなのであるが、他は都合があって出席できなかったのである。担当の先生も気が抜けてしまい、四方山話で始まり、結局授業には入らないで終わってしまう。一人に授業を行っても、しょうがないと思ったのであろう。一人でも授業をしてくれれば、欠席の皆さんにはノートを見せてあげるくらいの気持ちがあったのであるが。
 帰りは小林誠治校長と一緒であった。小林校長は横浜の本牧に住んでおられる。横浜まで電車の中で色々とお話しをする。小林校長は長年の間、神奈川教区田園江田教会の牧師であったので牧師としてのお交わりがある。また、「神の庭・サンフォーレ」支える会の委員でもあるので、共に担いつつお交わりを深めてきたのである。この4月に校長に就任されたが、横浜から神学校に通うのも結構大変のようである。しかし、神学校を愛する思いは篤く、使命を深めておられるようである。今回のゼミは「教団の課題」であり、課題は日本基督教団が伝道を推進することなのである。そのためには神学校において伝道者を育て、送りだす使命がある。そして、教会は伝道者を生むということである。改めて日本聖書神学校が日本基督教団の課題を担っていることを示されることとなった。