鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <24>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<24>
2011年11月23日 「美しきかな、福音を伝える者の足は」 


聖書の言葉
いかに美しいことか。山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。
イザヤ書52章7節)


 前回のブログ「この世にあるかぎり」で記したように、日本基督教団の教勢の低下を真剣に受け止め、伝道に力を注ぎ、信者を増やしていかなければならないことを、つくづく思わされた。過日、日本聖書神学校に行ったので、そのことと併せて伝道者を育てることに思いを馳せたのである。
日本聖書神学校のフィールドワークゼミを担当した。10月17日である。その日は神学校の礼拝の日でもあり、そのため礼拝説教も担当したのであった。フィールドワークは卒業年度の神学生に、教会の現場の勉強をしてもらうのである。私の担当は「日本基督教団の課題」をお話することである。今までも依頼されて担当している。私が日本基督教団の書記の任務をもっていたので、「日本基督教団の課題」のテーマでお話することを求められたのである。教団の課題については、教団総会議長が教団総会で「議長報告」を行うので、それに基づいてお話する。また教区総会には教団議長が「教区総会への挨拶」を文書をもって行うので、その「挨拶」をもとにしてお話するのである。今年の最終学年の神学生は6名であった。その中に大塚平安教会出身の小林美恵子さんがおられた。4年前、小林美恵子さんに神学校にお入りになるようお奨めした。小林さんは真剣にこのことのためにお祈りし、ついに召命として受けとめられ、入学されたのである。お連れ合いと共に生活している中で、夜の授業に4年間も通うのは大変であったろうと思う。本当に良くここまで学ばれたと思い、感謝し、喜んでいるのである。
 




日本聖書神学校の門側から礼拝堂等を望む。
学校の案内書よりコピー。



今の日本聖書神学校は礼拝堂、図書館、校舎、寮等、まさに素晴らしい建物である。こんなに環境が整備されて勉学に打ち込むことができる神学生は幸せだと思う。そんなことを思いながら、やはり昔、学んでいた頃が思い出されるのである。私が日本聖書神学校に入学するのは23歳の時であった。卒業した時、21期生として卒業したのである。従って、神学校には6年間在学したので、日本聖書神学校に入学したのは、神学校が設立されて15年後であり、比較的早い時期にこの神学校に入ったことになる。今では、2010年度卒業生は63期生であり、神学校設立以来多くの卒業生を伝道者として送りだしている。
日本聖書神学校の卒業生が日本全国各地で牧師として働いていることは喜ばしいことである。毎年、5月になると17教区がそれぞれ教区総会を開催している。その教区総会に日本基督教団として問安するのである。議長、副議長、書記、総幹事がそれぞれ手分けして赴くのであった。毎年3教区、4教区を問安することになる。その時には日本聖書神学校の卒業生の皆さんとお会いすることになり、しばしのお交わりをしていたのである。書記の務めを担うことで、そのような喜びがあったということである。書記になることは、とりわけ何ということではないが、日本聖書神学校の卒業生が日本基督教団の三役の一人になるのは、これまでになかったことである。一人の卒業生とお会いした時、「鈴木先生が教団書記を担っているので、自分としても誇りに思っている」と言われたことがある。8年間も書記を担い、日本列島各地の教区総会に出席し、卒業生の皆さんと交わったのであった。それだけでも書記を担った報酬である。
 大塚平安教会在任中、5人の皆さんが神学校に入り、伝道者の道を歩まれている。このことは私自身の喜びであり、誇りでもある。献身し、神学校に入るのは本人の意思であるが、意思と言うより神様の召命なのである。いくら自分が決心しても召命が無ければ、むなしい決心となる。神様が自分を伝道者に導いておられるという信仰が無ければ、自分の決心だけではつづけられないのである。召命は教会生活の中で導かれて来るのであり、大塚平安教会在任中に皆さんが召命を与えられたことは、まさに喜びなのである。また2人の方が伝道者と結婚し、共に牧会を担っているのである。大塚平安教会在任の頃、神学校に入る人が多かったので、これ以上神学校に入ると大塚平安教会を担う人がいなくなる、と不謹慎なことを述べたものだが、日本の各地で伝道しているのであり、送り出した教会としては祝福が与えられているのである。さらに伝道献身者が生まれることを祈っているのである。いかに美しいことか。良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの知らせを伝え、救いを告げるのである。


2008年、在任当時の大塚平安教会のたたずまい。



大塚平安教会礼拝堂。礼拝を導かれ、教会員の交わりが深められ、
その中から伝道献身者が生まれてくる。