鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <23>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<23>
2011年11月21日 「この世にあるかぎり」 


聖書の言葉
神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておられました。しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵をくださり、天から雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。
使徒言行録14章16、17節に)


 日本基督教団から機関誌「よろこび」が送られてきた。これは教団年金局と「隠退教師を支える運動」推進委員会が共同で発行しているものである。隠退教師向けの機関誌である。現役の頃、教団書記の任を担っている関係で、この機関誌への投稿を依頼されること二度である。その一文として、「教団年金が美しいというのは、祈りの支えであるからだ。受給額の多寡は考えない。たとえ小額でも祈りに支えられているという喜びがあるのである」と記したが、むしろ今の心境なのである。現役の立場で隠退された教師を覚えながら執筆したのであった。今は立場が逆になり、隠退教師として機関誌を手にするわけである。時の流れをつくづく示されながら。
 このたびの「よろこび」は第91号になる。巻頭言には教団副議長の岡本知之牧師が「お祈りください、教団のために」と題して執筆している。同牧師は、今日、日本基督教団は短期的にも長期的にも危機的状況であることを指摘している。教団は、ここ十数年にわたり、伝道の停滞と信徒数の減少に見舞われ、各教区とも年間1000万から2000万円の予算減が続き、年間予算1500万円前後の教会を毎年一つずつ失っていることになると指摘いる。その要因は、教会員の高齢化が進み、天に召される方が増える一方で、新たな受洗者を得ることが、年々難しくなっており、さらに新来会者の極端な減少が顕著であると指摘され、2030年には教団の教会は半分に減少するであろうと言われていることを示している。「先生方が、祈りをもって、また心血注いで育ててくださった教会を、何がこのように停滞、委縮させてしまったのか、今、神の御前に心からなる悔い改めと、聖書を『正典』また『啓示』として受け止めて立つ福音信仰への立ち帰りが、他の誰でもなく、今、伝道の最前線に立つ牧師たちと神学教師たちに求められていると思わざるをえません」と記されているのを読み、この一文は隠退者として読むのではなく、つい最近まで現役であり、自らの責任として教団の現状を受け止め、今後の伝道を推進しなければと思わされたのである。
 


大塚平安教会在任の頃の収穫感謝礼拝。
果物、野菜を聖壇におき、神様のお恵みを感謝する。


今年は11月の第三日曜日が「謝恩日」であり、「収穫感謝日」になっている。例年は第四日曜日であることが多い。今年は、次週の第四日曜日から待降節アドベントに入るからである。謝恩日とは、隠退教師、遺族を覚える日である。現役の時代、伝道に明け暮れて、年齢が増し、ついに隠退された教師である。その隠退教師を覚え、支えることが謝恩日の意義である。しかし、隠退しながらも、いろいろと奉仕している人が結構いる。私自身、毎月第一日曜日には横須賀上町教会の礼拝を担当しているのである。隠退しつつも、まだまだ教団の収穫のために奉仕をしたいと思っている。
その収穫感謝日を示されながら、六浦谷間の集会の礼拝も収穫感謝礼拝をささげたのであった。大塚平安教会在任の頃、子どもの教会、また大人の教会の礼拝で、持ちよった果物や野菜を聖壇におき、このように神様がお恵みをくださっていることを感謝したのである。子どもの教会では、礼拝後に収穫のお恵みを感謝し、焼き芋等と共にいただくのである。果物等は牧師夫妻が礼拝に来られない皆さんを訪問してはお届けする。しかし、最近は訪問する皆さんが天に召されたりして少なくなっていた。幼稚園でも収穫感謝礼拝を行い、持ちよった果物は綾瀬ホームとさがみ野ホームに園長が持参し、皆さんに差し上げるのであった。幼稚園では年長の子どもたちが豚汁を作り、全園児で会食することも楽しみの一つであった。
 収穫は果物、野菜を示されながら、人々を主の救いへと導くことである。それが停滞しているのであり、伝道の推進を強めて行かなければならないのである。だから、隠退しながらも要請があればお応えするし、待つまでもなく、六浦谷間の集会を開いているのである。小さな伝道であるが、伝道の使命はこの世にあるかぎり持ち続けると言うことである。



六浦谷間の集会の収穫感謝礼拝。
リンゴと柿以外はスミさんの端正で、庭で収穫したもの。
ハヤトウリ、ピーマン、ヒメリンゴ、オレンジ等。



ささやかな収穫感謝礼拝であるが、恵みを深く感謝したのである。