鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <22>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<22>
2011年11月18日 「きえぬ便りもかぜなれば」 


聖書の言葉
愛する人たち、わたしたちが共にあずかる救いについて書き送りたいと、ひたすら願っておりました。あなたがたに手紙を書いて、聖なる者たちに一度伝えられた信仰のために戦うことを、勧めなければならないと思ったからです。
(ユダの手紙3節)


 前回のブログで郵便ポストについて思いを馳せたのであるが、最近見かけるのはポストの横に張ってある「年末郵便業務アルバイト募集」である。今年も年賀ハガキが11月1日から販売され始めた。38億枚も販売するのだから、その業務は郵便職員だけでは対処できないことは言うまでもない。12月15日から投函受付開始だから、1月1日に配達するためには2週間の勝負でもある。それと共に人々も今から年賀状書きに勤しむわけである。まだ新年を迎えてないのに、賀状を書くのはなんとなく不自然な思いをもちつつ書くのである。新年までの2ヶ月の間、何が起きるか分からない。実際、賀状をいただき、新年の希望や祈りを記していた方が、年末には召天されていたこともある。その意味でも、年賀状は新年になってから書けばよいのではないかと思っている。しかし、新年は何かと忙しくなり、年賀状どころではなくなることもあるのだろう。大塚平安教会在任中の頃は、年賀状を書くのは元旦になっていた。何しろ年末までいろいろな仕事に追われており、ゆっくりと皆さんを心に示されつつ書くことができない。お正月は少なくとも公休日であるので、ゆっくりと賀状をしたためることができるのである。ところがお正月の三ヶ日に日曜日が来る場合があり、ゆっくりできない場合もある。毎年、1月1日は湘北地区の新年合同礼拝が開催されるが、以前は出席していたが、最近は出席することなく、ゆっくりと皆さんを心に示されながら賀状を書いていたのである。
 



散歩しながら、いろいろな郵便受けを見て歩く。



なかなか楽しい郵便受けである。



門に埋め込み型の他に、このような郵便受けが目につく。



それにしても、一年に一回の年賀状によるご挨拶で、それぞれの消息を知ることができ、年賀状は皆さんのお元気な歩みを知る上で嬉しいお便りなのである。本当に年に一回きりのお便りなのだが。久しくお会いしてない方からのご挨拶は、とりわけ嬉しいものである。48年もお会いしてない方から毎年賀状をいただいており、その後の前向きな姿を知ることができ、その方の賀状を今回もお待ちしている心境である。神学校に入り、二年目の夏、北海道の教会に夏期伝道と称して実習に行く。その教会には寝泊まりする所が無いので、ご近所の付き合いということで教会の隣のお寺で過ごしたのである。40日間過ごすうちにも、そのお寺には小児麻痺の女の子がおられ、出会いが深められたのである。自分がなぜこのような境遇であるかとの悩みに、神様は一人一人大切にされておられるのであり、あなたも賜物が与えられているのだから、あなたの生き方がありますよ、と励ましたのであった。その後、彼女は和文タイプを習い、タイプで手紙を送ってくれた。出会いはその時だけであるが、以後今日まで年賀状を送ってくれるのである。一年に一度のお手紙であるが、日本にはこのような風習があることを喜んでいるわけである。
 お便りをいただくことはうれしい。その意味でもお便りをいただく郵便受けは大切なものだと思っている。散歩しながら家々の郵便受けを見ることになる。だいたいは門に埋め込まれたものが多いが、門とは別に郵便受けが存立している家の郵便受けも結構見ることができる。既製のものを、ちょこんと門の上に置いてあるか、家の玄関付近につけているものが結構多く見られる。郵便受けごときにとやかく言う必要はないと言われるかもしれないが、出された方の大切なお手紙をしっかりといただくためにも、郵便受けに気持ちを表したいと思っている。そのように思っておられる方があるから、なかなか感心するような郵便受けを見かけるのである。
 ひとつそれなりの郵便受けを設計して建設してみようかと思っているのだが。



我が家の郵便受け。



ボックスは大きく、いっぱいいただけるようにと。



今日も郵便来ているかな、毎日ボックスを開けては中を。