鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「隠退牧師の徒然記」<145>

隠退牧師の徒然記(2013年2月1日〜)<145>
2013年2月11日 「16号線田浦物語」

 

聖書の言葉
信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。
ヘブライ人への手紙11章9〜10節)



 毎月、第二日曜日は横須賀上町教会の講壇に立ち、説教を担当させていただき、聖餐式を執行している。横須賀上町教会は、昨年4月から伝道師が就任しているが、まだ正教師ではないので聖餐式の執行ができない。それで、横須賀上町教会が代務者時代を迎えての歩みの中で、月に一度、説教を担当させていただいた関わりがあることから、伝道師が正教師になるまで第二日曜日の聖餐式と説教を担当させていただいているのである。昨日から来ている子供たちと共に横須賀に向かう。いつも百合子が運転してくれるが、我が家から住宅街を抜けると横浜南共済病院前の国道16号線に出る。その16号線を横須賀方面に向かうのである。少し走れば横須賀市であり、16号線は三浦半島のトンネルの多い道となる。追浜を抜け、トンネルをくぐると田浦付近を走行する。そのあたりをふと見ると、ツアーのような団体が歩道を歩いている。それも何組かのツアーのようだ。車の中で、あのツアーは何だろうと話し合っているとき、気が付いたことは、田浦梅林に行く人たちであると言うことだ。昨年の今ごろ、私も田浦梅林の見学に赴く。京急線田浦駅を降りると、出口付近に田浦梅林への案内地図が置かれている。その案内書を見ながら梅林へと向かう。途中、道路端には「たうら梅林」の幟旗が立てられていた。私が訪れたときは、まだ二三分咲きで早いようであった。山の中腹に梅林があるのである。梅林を後にして、再び田浦駅に向かうのであるが、幟旗が立てられているほど宣伝しているが、商店街は梅林とは何の関係もなく、気が抜ける思いであった。少しは梅林に関係する店があっても良いのではないかと思った。梅に関する食品とか、梅林の絵葉書とかである。昨年訪れたとき、見学後、お昼時であったのでラーメン屋さんに入る。そこの店主に感想を述べたのであった。この辺の商店はみんな年をとっていて、新しいことができないというようなことを述べていた。一年に一度の梅林祭りで、何かを企画しても無理があるのかもしれない。



2012年3月、横須賀上町教会の講壇。説教を担当する。



会衆は少なくても祝福の礼拝である。



 その田浦梅林への道を横目にしながら車を走らせていると、左に日本基督教団田浦教会、右に横須賀社会館を目にする。数年前まで田浦教会は佐藤千郎牧師であった。佐藤千郎牧師も神奈川教区の役職を担っていたので、神奈川教区議長を務めた私が、何かの会合で田浦教会に訪れることが何回かあった。最初に訪れたとき、一人の女性から声をかけられる。佐藤牧師のお連れ合いのようであった。その方が「鈴木先生、お久しぶりです」と挨拶されたのである。はて、どなたでありましょうか、と思っているとき、旧姓を述べられ、昔々の出会いをお話されたのであった。私が高校生時代、その頃は日本基督教団にはKKSという組織があった。「教会高校青年」の略である。教会に集う高校生の全国大会が山中湖で開催され、私は神奈川教区の代表として参加したのである。そのとき出会った方が、今は佐藤牧師のお連れ合いになっていたのである。まさに驚きであった。
 その佐藤牧師も隠退されているが、今は三崎教会のお手伝いをされていると言われる。三崎教会は、実は私も時々、礼拝の講壇に立たせていただいている。昨日は横須賀上町教会の講壇であったが、次週の17日は三崎教会に赴くことになっているのである。佐藤牧師は月に二回は三崎教会の講壇に立たれ、後は牧会的なことでお手伝いされていると言われる。三崎教会ではお会いできないのであるが、思いもよらない所で佐藤牧師とお会いしたのであった。思いもよらない所とは六浦駅付近である。昨年の暮れ、2012年12月3日であるが、私は山梨県石和温泉に向かうために六浦駅に向かった。昨年10月まで日本基督教団の総幹事を務めた内藤留幸先生と長年常議員としてお働きになられた小林貞夫さんの感謝会を石和温泉で有志が開催することになったのである。六浦駅前に郵便ポストがあるので、郵便を投函してから駅に向かおうとすると、一人の人に呼び止められた。犬を連れて散歩中の人と見受けられる。帽子をかぶり、マスクをしているので、よく分からなかったのであるが、名乗られたときすぐにどなたであるか、分かったのである。むしろ、このようなところでお会いしたことが驚きであった。佐藤千郎先生であったのである。聞くところによると、六浦駅付近の高台が住宅に開発され、その一角にお住まいであると言うことであった。まさか、こんなに近い所にお住まいとは。しばらく立ち話をしてお別れしたのである。
 私が住む家は横浜市であるが、それも端であり、すぐ横須賀市になるのである。いわば三浦半島の入口に住んでいることになる。三浦半島は比較的温暖であり、生活するには誠によい所である。老後の生活は三浦半島で、そんな思いで住んでおられる隠退牧師が結構いるのかもしれない。日向ぼっこをしている皆さんに、声をかけることもあるまいと思っている。