鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

「隠退牧師の徒然記」<144>

隠退牧師の徒然記(2013年2月1日〜)<144>
2013年2月8日 「物語としての診察券」

 

聖書の言葉
主はシナイ山モーセと語り終えられたとき、二枚の掟の板、すなわち、神の指で記された石の板をモーセにお授けになった。
出エジプト記31章18節)



昨日のブログで、顔に傷を負ってしまったことを記したが、その後は順調に快方へ向かっていることを記しておく。ところで、昨日は傷の治療で、はからずも湘南病院に行くことになり、しばし昔のことどもが思い出されたのであった。この湘南病院は追浜駅の裏手、小高い山の上に建てられている。いつも散歩をするが、追浜の雷神社付近から右手の上の方を見ると、この湘南病院が見えるのである。毎回でもないが、下から湘南病院を眺めるとき、いくつかの昔のことが思い出されるのである。
 この湘南病院に数日間入院したことがある。20歳前後の頃である。その頃、何かにつけて鼻血が出るようになり、お医者さんに診てもらったのであった。なぜ、この病院であったのか覚えがない。この病院の手前には横浜南共済病院がある。この病院を通りこして隣の横須賀市の湘南病院に行った理由は分からない。横浜南共済病院は今でも混雑しているが、昔から混雑していたようである。今でこそ医院が開業されているが、この横浜南共済病院の他には医院もない状況であった。この病院からさほど離れていない湘南病院は横須賀市にある病院なのである。昔から混み合う横浜南共済病院を敬遠して湘南病院に来る人がいたのである。鼻血について湘南病院で診断されたことは「蓄膿症」と言うことであった。早速、手術に及んだのであった。今は手術しても、すぐに退院させられてしまうが、少なくとも一週間以上は入院していたと思う。鼻の手術なので、終わってみれば回復を待つばかりで、退屈しながら入院生活をしたような気がする。その頃は、追浜駅前は今のような賑わいがなく、静かな商店街であったと思う。それでも金澤八景駅付近もたいして商店も無く、買い物と言えば追浜駅前の商店街であった。それらの商店街を高台にある湘南病院の病室から眺めていたのであった。



横須賀市追浜駅の裏手、小高い丘にある湘南病院。



湘南病院から見る追浜の商店街。赤い建物はスーパー「ヨコサン」で、
この他には大きなスーパーはなく、個人商店である。



 昔は、と言っているのは、私の20歳頃のことであるから50年も前のことを言っているのである。その頃は金澤八景にはダイエーも無く、横浜市立大学や東急車両会社くらいの存在が中心であり、ほとんど商店らしき店構えがなかったのである。だから、追浜駅前の商店街が唯一の買い物どころであった。そうでなければ横須賀中央駅に行くか、横浜の伊勢佐木町の商店街に行くことである。横浜駅の西口もひらけてはいなかったのである。その追浜商店街のどこかの家具屋さんで購入した勉強机は、今でも私の書斎机になっている。「おじいさんの古時計」は百年も経ているが、この机は60年である。この家が続く限り百年の古机になるであろう。
 それにしても、最近は診察券が嵩むようになっている。毎年、この時期になると目がごろごろするようになる。昨年も目医者さんに行き、逆さまつ毛を抜いてもらった。それで治ったのであるが、またこの時期になって目がごろごろとなる。今度も目医者さんに行ったところ、この際手術することを勧められる。上大岡にある形成医院を紹介してもらった。そこでまた診察券が増えたわけである。湘南病院に行ったので、ここでも診察券が作られる。横浜南共済病院、森眼科医院、江口歯科医院、藤井整形外科医院、横浜すずきクリニック等の診察券があり、この先、診察券がどのくらい増えるのであろう。綾瀬市に住んでいる頃の診察券もあるが、もはや使わないであろう。しかし、さがみ野中央病院の診察券を見ては、大腸ポリープの手術で入院したことが思い出される。三日間の入院予定であったので、牧師としていろいろと段取りして入院したのである。ところが手術して二日で退院許可が出る。退院と言っても、段取りをとっているので、今日退院すると祈祷会に出席しなければならない。祈祷会は牧師不在と言うことで、司会者、奨励者を決めてお願してある。ここは、まだ病院にいなければならないのである。それでお医者さんにお願いし、退院しても良いと言われているが、もう一日、予定通りの入院にしてもらったのである。
 北里大学病院の診察券を見ては、声帯ポリープの手術のことが思い出される。大塚平安教会に赴任してから15年位経てのことである。声が割れて聞こえると言うことで診てもらう。声帯ポリープということで手術となった。手術後一ヶ月くらいは発声を止められる。皆さんが病院にお見舞いに来られては、紙に書いては筆談となる。しかし、つい面倒になって声を出してしまう。するとお見舞いの皆さんが、声を出しちゃあだめですよ、とわあわあ騒ぐ。それで余計に言いたくなったものである。このように思い出がある診察券は、もはや使わなくなったとしても、物語がいっぱいある診察券なので、大事にしまっておくことにしよう。診察券は人生の歴史を綴っているのである。



物語としての診察券が増えること、喜びなのかな!?