鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

灯油運び( 古い掟をさらに聞きつつ )

 
 灯油が無くなったのでスタンドに買いに行きました。セルフ方式で、最初戸惑いましたが、今日は二回目なので苦労なくできました。案内の声が聞こえてきますので、その指示通りに行えばよいわけです。最初にお金を入れておくのですが、2千円入れました。分からなかったのは、お釣りの受け取り方でした。給油が終わると票が出てくるのですが、それを持って事務所に行くのかなと思いました。丁度、他にも給油している人がいて聞きました。給油機の隣に釣銭用の機械があり、そこに示すと給油量を読みとりお釣りが出てくるのです。便利なもので、自分でできてしまうのですから驚きです。本当に今の時代、驚くことばかりです。
 自宅はエアコンが入っていますが、石油ストーブの方が温かく、やかんでも上においておけば、いつでもお湯が使えるわけです。灯油をもち運びしているうちに、昔を思い出していました。少なくとも1989年までは教会は石油ストーブでした。礼拝堂の中ほどより少し後ろに大きな石油ストーブをおいていました。このストーブは礼拝堂全体を温かくしてくれるので、喜んでいたわけです。ただ、ストーブの側にいた人は、顔を赤くするほど温まってしまうのでした。礼拝が終わると、皆さんはストーブの周りに集まってきます。ストーブの周りには防御柵を設けていますが、その柵につかまり、あるいは手をかざしながらお話をするのでした。良き交わりの一角にもなっていました。1989年は教会創立40周年であり、記念の事業を行いました。ひとつは礼拝堂を改修すると言うことです。礼拝堂については、その頃も建て直しが検討されていました。しかし、いろいろと調査するうちにも困難な状況であり、今は改修にとどめることにしたのです。改修は礼拝堂室内の模様替えでした。その時に灯油ストーブを廃止してエアコンを設置したのであります。しかし、エアコンは風が吹いて寒いと言う人もあり、今までの石油ストーブを懐かしむ人がいました。
 幼稚園もその頃は石油ストーブでした。各教室に大きいストーブを設置し、教会と同じように防御柵を設け、園児に危険が無いようにしました。就任したころは、これらのストーブに灯油を入れることが一作業でした。朝のうちにそれぞれのストーブのタンクに灯油を入れておくのです。その後、園長が一人で灯油を入れるのは大変であるから、クラスの先生が入れることにしたのであります。しかし、教会の灯油は相変わらず牧師が入れていました。その後、教会も幼稚園もエアコンを設置するのでありますが、それでも灯油は必要でした。教会の受付にはエアコンが無いのでファンヒーターをおいていました。それから教師会室にもエアコンがあるのですが、端っこの方に設置されているので、温まらないため、石油ストーブをおいていたのです。礼拝堂も夜の祈祷会は寒さが応える時があります。エアコンをつけながらもファンヒーターを併用していのです。そして、牧師館のお風呂が石油の湯沸かし装置なので、いつもタンクに補給しなければなりませんでした。従って、いつでも補給できるように、石油ポリタンクを外においていました。そのポリタンクに給油しておくことが大変であったのです。幼稚園の門の横に大きな石油タンクがあります。当初は200リットルのドラム缶1基でしたが、すぐに無くなってしまうので2基にしました。そのドラム缶にガソリンスタンドが給油しておいてくれます。そこからポリタンクに取り、教会の裏の出入り口付近においておくのでした。その作業は、昨年3月に大塚平安教会を退任するまでしていたのです。
 その作業を大変とは思いませんでした。皆さんが温まるのですから、喜びとしなければならないのです。今は懐かしい思い出の一つです。昨日も時代の変化について記しましたが、合理性を考え、改善することが必ずしも新しい取り組みにはならないと思っています。旧式な取り組みこそ、真の意味が含まれているからです。
<聖書の言葉>
愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。
ヨハネの手紙<一>2章7節)