鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

伊勢ブラ( 変わらない主の言葉 )

 
 毎日、朝起きても、これと言った予定もありません。今までは朝起きれば、必ず手帳を開いて予定を確認していました。今は飛び飛びに入っている予定ですから、いちいち確認しなくても覚えています。今までは食事をするや背広を着ます。幼稚園の教職員礼拝や施設の礼拝に赴いたりしていました。しかし、今は背広を着ることなどほとんどなく、一日中ジャンパーで過ごしています。今日は何をしようかと思うのです。説教の準備をすること、ブログを書くこと、身の周りの整理をすること、大工仕事があれば喜びつつ行い、散歩に出かけ、なんとなく過ごす一日なのでした。毎日、忙しく過ごしている皆さんには申し訳ないのですが。この生活が習慣になり、もはや今までのように現役に戻る気持ちは無くなっているのでした。
 そんな毎日ですから、時には刺激が欲しくなります。たまには背広を着て出かけたくなります。それで今日は伊勢ブラを思い立ちました。横浜市中区の伊勢佐木町の商店街を歩くことです。青年の頃、よく伊勢ブラをしたものです。清水ヶ丘教会に出席していましたが、午後の集会が無いとき等は、教会の青年たちと伊勢ブラに出かけたものです。教会は京急南太田駅ですが、黄金町まで歩きますと伊勢佐木町商店街が始まるのです。昔は関内の駅はありませんでしたが、馬車道に向けてぶらぶらと、商店を覗きながら歩くのでした。昔は野澤屋があり、唯一のデパートでした。今は横浜駅周辺が賑わっていますが、昔は横浜駅と言っても、たいした店もなく、ほとんどが伊勢佐木町に買い物に来ていたのです。スマートボールや射的屋さんがあり、面白半分に遊んだものです。こんなのんびりした遊びは温泉街に移動しましたが、今の温泉街でも見かけなくなっているのではないでしょうか。
 さて、今日の伊勢ブラですが、まず横浜駅に出ました。丁度お昼時なので食事をしようと、東口のポルタ商店街に行きました。何回か行ったことのある食事処があるからです。ところがポルタは全店閉まっていました。全店改装するようです。それで、今度は西口の東急エクセルホテルの二階に中華料理屋さんがありますので、そこで五目そばでも食べようと赴きました。もうとっくに無くなっていました。この店でも何回かおそばを食べたことがあるのです。仕方なくジョイナス地下街の食事処で済ませたというわけです。その後、地下鉄で関内駅に行き、そこから伊勢佐木町商店街が始まりますので、伊勢ブラの開始です。昔のコースとは逆のブラブラになります。もっとも、昔と言っているのは50年も前のことです。もちろん、大塚平安教会に就任してから、何かと伊勢佐木町を歩いています。伊勢佐木町の商店街は全く変わってしまいました。しかし、有隣堂は昔と変わらず存在していました。なにかホッとしたような思いでいます。店に入り、三階の文具コーナーを見て回り、二階、一階の本のコーナーを見て回ったのでした。この本店から各地に支店ができて行ったのです。この有隣堂にはよく通ったものです。商店街は今的な、当たり前ですが、商品が売られていますが、商店の前は露店が並んでおり、商店を遮っているようでした。伊勢佐木町五丁目にはピカデリーとかオデオンという映画館があったのですが、今はパチンコ屋になっているようです。このまま黄金町まで歩こうかと思いましたが、日の出町駅に向かいました。
 それにしても、今日の伊勢ブラで示されたことは、時代と共に変化したことです。それは当然であり、新しい時代に適した状況へとなって行くのでしょう。世界に目を向ければ、新しい社会、新しい国造りで人々が立ちあがっています。一人の人が長い間支配することにより、独裁政治になって行くのです。大塚平安教会における30年間は長すぎたのかもしれません。その意味では今、大塚平安教会は新しい教会形成に導かれているのです。変わるもの、変わらないもの、変わらなければならないもの、変わってはいけないもの等を考えさせられたのでした。
<聖書の言葉>
あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。主の言葉は永遠に変わることがない。
(ペトロの手紙<一>1章23-25節)