鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

鎌倉散策( 生ける神に )

 
 念願の鎌倉行きを果たしました。4月より金沢区六浦の家に住むようになり、ぜひ鎌倉まで歩いて行きたいと思っていました。しかし、4月から9月までは横浜本牧教会の代務者の職務が与えられ、行かれませんでした。10月よりは職務から解放されましたので、毎日散歩していました。だいたい1時間くらい散歩をしていました。こうして歩く訓練をしていましたので、そろそろ行ってみるかと思ったのです。推測では鎌倉まで3時間は歩くだろうと思っていました。青年の頃、何回か鎌倉まで歩いて行ったことがありますので、再び歩いてみたいと思っていたのです。50年ぶりに歩く峠の道です。
 今日は天気も良く、風は少し冷たく感じるようになっていましたが、午前10時に家を出発しました。大道小学校までは15分でした。小学校の6年間、毎日通った道です。さらに進んで朝比奈峠登り口に着いたときは45分を要していました。ここからは峠の坂道を上っていきます。しかし、この道は自動車道路であり、絶えず車が行き来しています。最初のうちは歩道がなく、車道の端を歩いているのですが、車に注意しながら歩きました。鎌倉霊園西側に着いたのは11時でした。そこで10分間の休憩。峠の上りはここまでで、今度は下り坂になります。十二所、岐れ道、鎌倉泉水教会前を通り、鶴岡八幡宮に着いたのは12時15分でした。3時間の予測が2時間で歩くことができました。途中、鎌倉の名所と言われる場所がありましたが、今回はどこにもよらず、目的地の鶴岡八幡宮までの歩行時間を計ることに専念したのです。
 鎌倉は大勢の人で賑わっていました。丁度お昼時なので、お蕎麦屋さんに入りましたが、外は混雑しているのに店内は空いていました。せっかく来たので鶴岡八幡宮を見学しました。金曜日なのにと思いましたが、小学生の修学旅行、観光客等で混雑しているのです。境内を歩きますと舞殿があり、神前結婚式をしたカップルが記念撮影をしており、大勢の観光客も二人を眺めていました。外国人の観光客もしきりとカメラに収めていました。そのような観光客のなかで目立ったのは自衛隊関係の若者でしょうか。あるいは防衛大学生なのか、制服を着て参拝していました。結構の人数であったと思います。彼らが参拝すること、なんとなく軍国時代を思ってしまうのですが。例の大銀杏の木は老齢で倒れたのですが、しかし木株からは新しい若木が生えており、黄色い葉をつけていました。その前には大きな絵馬が掲げられており、そこには子どもたちの応援メッセージが書き込まれていました。昔は人力車などありませんでしたが、今は結構人力車があり、また利用している人を見かけます。混雑するなかで、人力車を引く人も大変だなあと思ったわけです。
境内に平行して鎌倉近代美術館がありますので寄りました。「ひと」がテーマの美術展でした。岸田劉生画伯の「少女」の絵が数枚展示されていました。若いころ、歩いて来なくても鎌倉彷徨をしていましたが、必ずこの美術館によっていました。65歳以上は半額ということで350円の入場料でした。ここも外は賑わっているのに閑散としており、私の他は数人が見学していたのです。それから小町通りを通って鎌倉駅に向かいました。若宮大路は大勢の人が歩いているので、小町通りにしたのですが、この道は狭いこともありますが、むしろこの道を好んで通る人が多く、なかなか進めない状況でした。
鎌倉は鶴岡八幡宮を中心とする観光地です。そのため大勢の人々が、宗教に関係なく訪れています。しかし、鎌倉の地には、通って来た道には鎌倉泉水教会があり、鎌倉雪の下教会、鎌倉教会、鎌倉恩寵教会があり、それらの教会に関わる人々もいるのです。また、カトリック教会、修道院もあり、それぞれが人間を超えた存在に心を向けているのです。大勢の人々が神様との出会いが与えられるよう祈りつつ鎌倉を後にしたのでした。
<聖書の言葉>
あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、私たちは福音を告げ知らせているのです。
使徒言行録14章15節)