鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

発行印刷物に明け暮れて( 書いても書いても )

 
 今週の土曜日、20日に埋葬式を行うので、今日は式次第を作成しました。さがみ野ホームの利用者が去る9月23日に召天されました。9月末まではさがみ野ホームの嘱託牧師として関わっていましたので、前夜式、告別式の葬儀を担当しました。そして、この度さがみ野ホームの墓地に埋葬されることになり、その司式をすることになったわけです。そのため当日の式次第を作成しました。今までは大塚平安教会・ドレーパー記念幼稚園に在任している頃は、印刷機、紙折り機等がありましたので、例えば式次第を500部印刷しても、簡単に作成できました。しかし、今は自宅で作成しなければなりません。原稿はパソコンで作りますが、冊子にまとめるにはコピー機が必要です。我が家に設置しているコピー機は電話機・ファックスとセットになっている家庭用の機種です。それでも何とかまとめることができました。今は家庭用の電話にしてもファックスにしても、不自由なく使えるようになっています。これで500部も作ろうと思えば作れるでしょう。もっとも今回の埋葬式の式次第は15部もあれば足りるのです。
 思えば、牧師生活40年は印刷物の作成、冊子の作成に明け暮れたようであります。私の高校生時代、50年以上も昔ですが、その頃は謄写版印刷でした。清水ヶ丘教会の高校生会・ぶどうの会では会報を発行したりニュースを発行したりしました。いわゆるガリ版の上に蝋原紙を置き、鉄筆で書くのです。ガリ版はやすりですから、そこに書くのは困難でもありますが、慣れてくるといろいろな工夫ができるのです。おかげで人に読めるものを発行することができるようになりました。この技術は青山教会副牧師に就任した時には、早速腕の見せ所となり、毎週の週報や総会資料等もガリ版印刷で行ったのです。そして、宮城県の陸前古川教会に赴任しましたが、やはり毎週の週報を始め、いろいろな印刷物はガリ版印刷で行ったものです。土曜日は説教の準備です。夕方、ようやく準備が終わり、それから週報づくりを始めるのです。もはや、日付が改まってできあがるのでした。週報で何故そんなに時間がかかったのでしょう。その頃の週報はB5判裏表に礼拝順序、集会案内、報告、個人消息等を記しますが、「礼拝講座」「牧会日誌」なども書いていました。「牧会日誌」を書くときはB4を二つ折りにした両面印刷で4頁になります。「牧会日誌」はその場で考えながら原紙に書くので、そのため時間を要したのでした。その頃の週報を取りだしては思い出深く見つめています。
 大塚平安教会に赴任した時、こちらではタイプ印刷でした。教会の方がタイプを打ってくださっていました。従って、原稿を書けば印刷してくれるのです。そして、ワードプロセッサーなるものが出始めると、早速取り入れたのでした。それからはワープロですべての印刷物を作成するようになりました。そして、パソコンに移っていくのです。当初は牧師がパソコンで印刷物を作成していましたが、その後パソコンが普及し、どなたもパソコンを扱うようになりましたので、印刷物は皆さんが作成するようになりました。
 50年間、文書を作成し、人様が読めるようにしてきました。最後の仕上げは日本基督教団常議員会議事録の作成でした。いつもはA4判で25頁くらいの冊子にしますが、10月に開催された第6回常議員会は開催時間が短かったので15頁で済みました。日本基督教団の歴史の一部を書き残したと言うとしたら過言でしょうか。
 聖書は旧約聖書39巻、新約聖書27巻、合わせて66巻です。多くの文字で主イエス・キリストを証ししているのです。もちろん、そこまでは追いつきませんが、発行した印刷物、また自ら書き残しているものはイエス様の証しでもあるのです。このブログにしても、神様のお恵みによって生かされている証しを記しているのです。
<聖書の言葉>
エスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。
ヨハネによる福音書21章25節)