鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <44>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<44>
2012年1月12日 「働きもせず、紡ぎもしない」 



聖書の言葉
空の鳥を良く見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。
(マタイによる福音書6章25節以下)



隠退牧師は、特に私の場合、これと言ってなすべき職務はなく、読書や今までの整理、散歩、パソコンに向かって文書を作成することくらいで、そんな毎日を過ごしているのである。従って、手帳にはこれといった予定も書き込まれてはいないので、開くこともない。現役の頃は、朝起きれば、まず手帳を開き、今日一日の予定を確認するのであった。まさに手帳には予定がびっしりと書き込まれているのである。因みに2010年の1月の手帳を開いてみた。大塚平安教会を3月には退任することになっている状況でもある。
年末から1月1日と2日は六浦で過ごす。12月末に綾瀬にある大きな備品、箪笥やピアノ等の引越しをする。お正月であるが、引越しと片づけをする。3日、新年礼拝。礼拝後は新年祈祷会を行う。その後は新年の抱負を語る会とし、お汁粉をいただきながら皆さんと語りあう。4日、羊子がバルセロナへ戻るため出発。12月20日は大塚平安教会最後のクリスマス礼拝であり、帰国して奏楽を担当する。7日、幼稚園教職員出勤。三学期の打合せを行う。8日9時、さがみ野ホーム礼拝。10時、幼稚園始業式。10日、午前7時出初め式祝儀を届ける。礼拝後愛餐会。12日、日本基督教団役員会。13日9時30分、幼稚園聖書に親しむ会。午後3時、幼稚園入園面接。14日、幼稚園卒業記念写真。10時30分、家庭集会・婦人会合同聖書を読む会、立野台の松本姉宅。午後3時、知人来宅。15日、午前9時、さがみ野ホーム礼拝。午前10時、幼稚園合同礼拝。17日、礼拝後役員会。18日、午前10時、幼稚園会堂礼拝。午後2時、東京神学大学と教団役員会が懇談会。19日、幼稚園防災訓練。20日、午前10時、幼稚園誕生会。午後2時、デザインコンビビアの堀木氏と説教集発行打合せ。21日、綾瀬ホーム追悼式。幼稚園ポケットの会観劇会。午後4時面接。22日、幼稚園卒業遠足、箱根。午後4時面接。24日、礼拝後こどもの教会担当者会。25日、午後2時、神奈川医療少年院。26日、教団新報談話原稿送付。説教集原稿送付。28日、日本基督教団役員会。29日、午前9時、さがみ野ホーム礼拝。午前10時、幼稚園礼拝。30日、午前10時30分、大塚平安学園理事会。午後6時、さがみ野ホーム利用者召天前夜式。31日、主日礼拝。午後2時、告別式、興伸典礼寺尾会館にて。



2010年1月の「牧会手帳」予定欄。
3月には大塚平安教会を退任することになっている。



2012年1月の「牧会手帳」予定欄。
日曜日以外はほとんど予定がない。




2010年と2012年の牧会手帳。



以上の事柄が1月の手帳の予定欄に書き込まれている。よくもまあ、毎日忙しく過ごしたものだと、自分ながら感心している。手帳は日本基督教団が発行している「牧会手帳」というものである。牧師になってから使い始めたので、42冊はあることになる。しかし、昔のものは整理してしまったので、机の引き出しには15冊くらいしかない。メモ程度でも、歴史を刻んでいるのだから保存しておけばよかったと後悔している。しかし、週報は教会、幼稚園については詳しく報告しているので、その点は手帳がなくても良いのであるが、個人の歩みについての記録が消えてしまったということである。
かなり昔になるが手帳をなくしてしまったことがある。家の中を幾ら探しても見つからない。一つ考えられることは、公衆電話ボックスの中に忘れてきたのではないかということである。その頃は携帯電話というものがなく、出先では公衆電話を使う。どこか車で遠くに行った時であったと思う。道路わきにある公衆電話を利用したのであるが、電話番号は手帳に記してあるので、見ながら先方にかけ、手帳を公衆電話の上に置いたまま後にしてしまった、のではないかと思ったのである。しかし、その公衆電話は遠距離にあり、またそこに置き忘れたとも限らないので、取りに行くこともなかった。手帳がない、予定がどうなっているのか、全く分からなくなったのである。急いで新しく取り寄せ、思い出しつつ予定を書き込んだのであるが。
今の状況において、手帳に書くことがないと言っても、ないことはない。一万歩歩いたとか、本は何頁まで読んだとか、パソコンで文書整理がどこまで進んだか、年賀はがきをどなたに書いたか、新聞や雑誌の必要事項を書き残しておくとか、今日は何を食べたか、書き込むことはいくらでもある。予定は書くことがなくても、記録をメモしておくことでは、紙面が黒くなるほど書くことがあると言うもの。隠退牧師なりに手帳が黒くなるまで書くことができると思うのだが。