鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <45>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<45>
2012年1月14日 「旅人であり、仮住まいの身なので」 


聖書の言葉
愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。
(ペトロの手紙<一>2章11-12節)


このところ体調も良く、腰の痛みも出て来ないので、散歩は1万歩を目標にしている。2時間は歩くことになる。以前はその日の気持ちで追浜方面を歩いたり、金沢八景方面を歩いたりしていたが、最近は毎日同じ道を歩いている。追浜駅、天神橋、野島、金沢八景駅六浦駅を歩くと1万歩になるのである。その野島付近を歩くと、夕刻でもあるので野島が夕陽を受けて、海の中にひっそりとたたずんでいる様を見るのである。丁度今、塩野七生さんが書いた「海の都の物語」(ヴェネツィア共和国の一千年)を読んでいるところであり、海の上に浮かぶヴェネツィアと野島が重なるのであった。もちろんそんな簡単なものではないことは言うまでもない。



海に浮かぶ野島。1月4日のブログでも掲載している。



中公文庫版の「海の都の物語」(ヴェネツィア共和国の一千年)



いつから読み始めたかメモを取っていなかったが、「海の都の物語」を昨日1月13日に読み終えた。中公文庫版で上巻(520頁)、下巻(600頁)である。新潮文庫版であると6巻になっている。ヴェネツィアの国ができたときから一千年後に滅亡するまでの歴史を読むことができる。最近、塩野さんの本を読むことがしきりで、「ルネッサンスの女達」、「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」、「ローマ人の物語」(文庫版で43巻)を読んでいる。塩野七生さんの著作は歴史を記すでもなく、伝記を記すでもなく、それぞれの事柄に焦点を置きながら、塩野さんの思いを入れながら記しているので、そこに読者をひきつけていくのであろうと思う。例えば、女性のことに関する著述では、「同性の私でも、そのようなことは〜」というような表現を時々見るのである。
今でも美しい町のヴェネツィアであるが、その一千年は歴史における戦争をかいくぐりながら、結局滅亡したが、美しい街並みを築きながらの歴史の歩みであった。ヴェネツィアの国ができるのはローマ帝国末期、蛮族の侵入がヨーロッパの人々を恐怖に陥れていた時代である。その時、ヴェネツィアの人々は「塔に登れ。そしてそこから海の方角を見よ。お前たちの見る地が、これからのお前たちの住家になる」との天からの声を聞いたのである。その天からの声に従い、山に逃れるのではなく、海の千潟に避難したのである。それは神話であるが、ヴェネツィアの人々はその神話を基としている。千潟を開拓してできた国であり、その後は海洋国家として発展するのである。結局、資源がないので海洋貿易が盛んになり、海洋国家であるスペインやイギリスに対しても優位に貿易を展開するのである。資源がない国は貿易が衰退すれば、国も衰退していく。貴族たちはヴェネツィア以外に農業を発展させるので、海洋国は行き詰っていくのである。フランス革命でナポレオンが台頭し、ついに滅亡ということになる。いよいよ滅亡の時、ヴェネツィアの人々は「ヴィーヴァ、聖マルコ! ヴィーヴァ、ラ・レプブリカ!」(聖マルコばんざい! 共和国ばんざい)と叫び続けたという。「湖から発して何本もの川に流れだす水のように、聖マルコ広場であがった叫びは、ヴェネツィアの町の路という路を満たしていた」と締めくくっている。
上下巻1120頁を紹介するには、あまりにも簡単であるが、やはり歴史を読むのであり、歴史は戦争、革命を繰り返しながら歩んでいる。これは日本においても同じであるが、国民が生き伸びるために侵略し、戦争を繰り返していくのである。今日、革命の渦中にある国、独裁下にある国があるが、いずれ自由と平和が与えられることを祈る。しかし、戦争がないというのではなく、今は経済戦争のさなかなのであり、それに対する軍備が進められていることを認識しておかなければならないのである。1月13日の読売新聞は、国々の「駆け引き戦」を報じていた。中国、韓国、北朝鮮、台湾、オーストラリア、ベトナム、ロシア等が東シナ海南シナ海、太平洋で潜水艦が動きまわっていることを報じ、各国の軍事力等も報じている。文藝春秋12月号で、「世界同時多発危機が日本を襲う」と題して対談が行われていたが、世界の経済事情の打開を模索しながらも、自国がいかに生き伸びるか、経済戦争を論じているのである。
世界の歴史は戦いによりくぐりぬけて来ているが、戦争は今も続いていることを示されるのである。「旅人であり、仮住まい」の身なのであるから、互いに助け合い、共に仮住まいの歩みをしなければならないと思うのであるが。