鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

千客万来( 必要なことはただ一つ )

 
 横浜本牧教会でお交わりいただいたご兄弟がお訪ねくださいました。横浜本牧教会では半年間の代務者であり、短い期間でありますのに、わざわざお訪ねくださり、しばし楽しく懇談させていただきました。こちらの方に用向きがあったのです。弟さんが近いうちに金沢八景付近に転居されるので、既に契約した部屋を見学、確認をされに来られたということです。しかし、そこからわざわざ足を伸ばされてお訪ね下さったのです。兄弟のお兄さんはピアノが弾けて、リビングにあるピアノで楽しく演奏されていました。4月からこの家に住むようになって、4件目のお客様ということになります。1件目のお客様は、横浜本牧教会の会員の方でありますが、週報発行のご奉仕をされていました。私との連絡がうまくいかず、書類を取りに来られたのです。2件目は、10月から横浜本牧教会に就任予定の森田裕明牧師です。その時は横須賀上町教会牧師であり、随分と近くなったこともあり、今後のことなどでお話に来られました。その後、森田裕明、古旗誠、佐竹拓平牧師たちが押し掛けてきたのです。彼らは、言っても良いと思いますが、私のお弟子さん達なのです。みんな立派な牧師になって、喜んでいる次第です。
4月に本格的に転居し、この家に住むようになりました。既に4年前にこの家は造られていました。60年来の古い家を解体し、新しくしたのです。新しい家を造ったものの、職務が続いていましたので、転居することができなかったのです。ここに住むためには、すべての職務を退任しなければなりませんでした。70歳に到達しましたので、大塚平安教会とドレーパー記念幼稚園の退任を申し出たのでした。今年の3月はまだ70歳であり、予定通りであったと思います。予定が変更になったのは、4月からは横浜本牧教会の代務者牧師になり、付属の早苗幼稚園の園長に就任してしまいました。9月までというので受託したのでした。その職務が9月に終わり、10月26〜28日に開催された日本基督教団総会で8年間担った書記の務めを終えることになりました。今は綾瀬ホームやさがみ野ホームの職務も終わり、学校法人大塚平安学園理事長を退任し、八王子医療刑務所教誨師や神奈川医療少年院篤志面接委員の職務も終わりました。11月になってからはすべての職務から解放されたのです。
朝、目が覚めると、今日一日の予定が頭の中で回転します。そして、改めて手帳の予定表を見つめ、それぞれの予定に合わせる生活を40年間して来ました。その習慣が抜けきれず、今日は寝すぎて6時半にもなっているので、布団をはねのけて起きようとします。そうだ、もう予定が何もないのだと、再び横になり、天井を見つめつつ今の境遇をしみじみと思うのでした。このような生活になった時、横浜本牧教会でお交わりのあったご兄弟がお訪ね下さったことは大変うれしく存じました。この家を建て替えた時、多くの皆さんをお迎えするために、駐車場を広くしておきました。3台は駐車できますが、詰めれば4台も駐車できるのです。大勢でお出でいただいても駐車場は可能です。ただ、家そのものが大きいものではないので、果たして何人と限定すればよいのでしょう。
家を建て替える時、「ここで教会をするの」と姉に聞かれました。そういう思いは全くなかったので、その問いは否定したのですが、集会を開けないことはないとも思うようになりました。40年間、御言葉に向かい説教を担当してきたので、牧師を退任しても教会の講壇に立つのではありませんが、日曜日のための説教を作成しているのです。せっかく作成したので、説教専用のブログを立ち上げ、日曜日ごとに掲載しています。そうであれば、この小さい家で礼拝をささげることも考えて良いと思うようになりました。そのためにはある程度、志のある方が集まらなければなりません。御心ならば神様がその方向にお導き下さるでしょう。
千客万来、主イエス・キリストは五つのパンで5千人を養ったと聖書は報告しています。
<聖書の言葉>
あなたは多くのことことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。
ルカによる福音書10章41節)