鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

牧者の祈り( あなたを思い起こし )

 
 「教団新報」が送られてきました。4710・11号合併号です。教団書記でありましたので、送られていましたが、これが最後になると思います。そうなると自分で購読を申し込まなければなりません。教会の牧師であれば、教会には送られてきますので、読むことができます。今は牧師を退任したので、「教団新報」を読む機会がなくなりました。そのためキリスト教書店に購読を申し込んだのであります。牧師を退任しましても、やはり日本基督教団の歩みを知っておく必要がありますし、また祈らなければなりません。
 ところで、今号には山北宣久議長の談話が掲載されていました。教団新報の四面に談話の欄があります。この部分は議長、副議長、書記、総幹事が順じ談話を書いていました。私も書記として8年間に30回も記しています。この談話は、特に内容を指定されている訳ではなく、談話ですから、どんな内容でもよろしいということでした。どんな内容と言っても、牧師としての談話であるわけです。しかし、内容を指定されないで、思いつくままに記すということは、なかなか大変でもあります。よくも30回も書いたなあと思っています。
 それで、山北宣久議長は「最後に感謝を!」との題で執筆されています。少しく内容を紹介しておきましょう。「思えば副議長を3期6年、議長を4期8年、計14年も務めさせていただきました」と記されていますが、副議長の前は常議員でしたから、本当に長年にわたり、日本基督教団に関わり、日本基督教団を支えて来られたのです。「何よりもこの間、文句も言わず教団へと送り出しつづけてくれた聖ヶ丘教会に心から御礼を述べる次第である。500人を超える現住陪餐会員を抱える中、副牧師も伝道師もおかずに教会形成を続け、この間会堂建築を達成しえたのは一重に教会員の祈りによる支えがあればこそである」と記されています。まさに教会の理解、支えがなければ務まらない職務でありました。私は教団書記になってからは、職務上において日曜日に出かけることはありませんでした。しかし、神奈川教区議長時代は、日曜日の午後に出かけることがしばしばありました。他の教会が牧師を招聘し、その就任式をつかさどらなければなりません。就任式は原則として教区議長が司式をすることになっているのです。神奈川教区副議長、議長時代の6年間は、日曜日の午後に出かけなければなりませんでした。日曜日の午後はいろいろな集会があり、それらの集会をやりくりしながらのことでした。教会の皆さんのご理解があり、お支えがあっての職務でありました。書記の任務は日曜日に出かけることはありません。月に二回くらい三役会が開催されていました。しかし、5月になると教区総会への教団問安使として出かけますので、留守の時が結構ありました。特に祈祷会を留守にすることは心苦しかったです。「この度、教団総会議長のみならず、すべての教団の関わりから離れる。そして35年間も奉仕させていただいた聖ヶ丘教会をも辞する。もう思い残すことは何もない。今まで用いて下さった神と皆様への感謝あるのみである」と記されています。山北宣久議長は来年1月には聖ヶ丘教会を退任されます。もうすでに選任され、職務についている青山学院の院長として、専門に関わることになっています。
 山北宣久先生の、牧者としての姿勢を示されています。先生は会議の合間を縫うようにして、お手紙を書いていました。それは教会の皆さまへの手紙であり、教会に来会された方々への歓迎のお手紙でもありました。教団の職務をこなしながらも、心は属する教会であり、教会員なのです。いつも教会を覚えては祈りつつ教団の職務に励んでおられたのであります。この姿勢は、牧師は同じように属する教会を第一にしています。たとえ役職を持つようになっても、常に属する教会を祈っているのです。牧師を教区・教団に取られた等と思われるとしたら、牧師として悲しむべきことなのです。むしろ、留守の分だけ祈りが深まるのです。
<聖書の言葉>
わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。
(テモテへの手紙<二>1章3節)