鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

我が家の一員として( 愛に応えて )

 
 昨日の夕食時に、連れ合いのスミさんといろいろと話しながら食事をしていたのですが、テレビで「わんにゃん」を報じていました。自ずと会話が犬の話に及んで行きました。このブログで「ロウケン施設」と題して書きましたので、スミさんなりに犬達との触れ合いを話したかったのです。
 我が家に最初の犬となったのは、大きなジャーマンシェパードであったと記しました。教会の玄関先にうずくまっていたと記しましたが、あの時、はす向かいの郵便局の前にうずくまっていたので、第三子の百合子が連れてきたということです。その時は祈祷会であり、百合子はその犬を牧師宅の玄関先においていたのです。それで玄関先にうずくまっていたのです。その犬の名はズーシーと名付けました。ずうずうしく我が家の住人になったからだと子ども達。二週間くらいの命であったようです。以上、訂正しておきます。
 チェリーとノアの世話については、子供たちが面倒を見なくなってからは、あたかも私がしていたかのように書いていますが、当然スミさんも一生懸命に世話をしていました。何よりも感心するのは、自分がお風呂に入る時には、犬たちも風呂場に連れ込み、シャンプーしてあげるのです。かなり長い時間洗われているようです。あがったわよ、とスミさんが言うのでふろ場の入口に迎えに行きます。チェリーにしてもノアにしても、散歩から帰って来たかのように、いかにも疲れた様子をあらわしているのでした。口を大きく開けて、舌を長く出し、ぐったりとなっていました。それでも、また風呂場に連れて行かれると、嫌がりもせずに入っていくのです。洗われることは、まんざらでもないようです。
 やはり一番長く犬たちと接していたのは連れ合いのスミさんではないでしょうか。私は牧師として、園長としての職務があり、出かけたりしているからです。散歩に連れて歩く時、チェリーとノアを同時に連れて歩くのは無理でした。だから、順番にするのですが、後にまわされ、残されたチェリーにしてもノアにしても、先なるものが帰ってくるまで吠え続けているのです。抗議の意味なのでしょうか。ノアは大きく、力があるので、散歩は大変です。ややもすると引っ張られてしまうからです。そして、老衰となり、足腰が弱くなった時、私は腕に抱いていつも行く散歩の場所に連れて行きますが、スミさんの場合は自転車の前籠に入れるのですが、大きいから入らないのです。それでも何とか籠の中に入るとも入らないともの形で散歩の場所に連れて行ったのでした。
 我が家では犬たちを家の中では飼いませんでした。家の状況があり、人間が住むだけの間取りであったからです。それに、二階住まいであり、犬たちも狭い階段を上り下りするのは大変でありました。外にいる犬たちはそれなりに慣れていました。しかし、雪が降ったり、雨風がひどい時には玄関に入れていました。チェリーが老衰し、病気が進行しているようで苦しみ出したので、それまでは相変わらず外にいましたが、玄関に入れてあげました。幼稚園の獣医さんにも見てもらいましたが、老衰であるからと、それ以上の処置をしませんでした。チェリーは痛みを訴えています。その日、連れ合いのスミさんが朝から出かけていました。夕方になって戻りましたが、痛みを訴えてなき続けていたチェリーは、頭を持ち上げ、スミさんの声を聞き、またその姿を確認すると、なき声が止まりました。そして静かに頭を横たえ、眠りに着いたのです。あたかもスミさんが帰るのを待っていたかのようです。お母さんの声を聞いて安心したからでしょう。チェリーは17歳、ノアは16歳、我が家の一員となってくれてありがとう。
 愛する存在は人間も動物も同じでありましょう。心を寄せれば、同じように心を寄せてくるのです。それぞれの姿で愛に応えるということです。
<聖書の言葉>
愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。
ヨハネの手紙<一>4章1節)