鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

直し屋として( 打ち砕かれた人を癒し )

 
 大塚平安教会、ドレーパー記念幼稚園に在任時代、自動車関係でお世話になった会社の社長さんの訃報の連絡をいただきました。いろいろとお世話になったので、葬儀には列席することにしました。その自動車修理会社の社長さんについては、関連していろいろな思い出があり、記録に残しておきたいのです。いわば30年のお付き合いでありました。75歳でしたので、私より4歳上ですが、同じ年代でもあり、いろいろとお話が合うのでした。
 その自動車会社には幼稚園のバスを始め、自家用車まで面倒を見てもらっていました。この会社を通して園バスを二回新しくしています。今はどのようになっているのか分かりませんが、その頃は手続きが結構大変でした。三菱の会社の営業の人と共に陸運局に行き、園バスを他の目的では使用しないことの書類を提出するのです。その営業マンは山好きの人で、行き帰りの車の中で、登山についての話に花を咲かせました。私の場合は、昔は八ヶ岳南アルプス谷川岳の登山位で、いつもは丹沢しか登っていません。ところが、その方はメジャー級の登山家で、さまざまな登山のお話をしてくれるのでした。自動車修理会社の社長さんに用があってこられた時には、必ず幼稚園により挨拶をされるのでした。最近登られましたか、と聞かれますが忙しくてできません。こないだもどこそこの山に登ったと言われ、健脚ぶりをお話されていました。幼稚園はマイクロバスより、小回りができるワゴン車にすることにしました。その時も営業マンが来られて、バスを使わなくなることは残念ですが、先生と山のお話ができなくなることの方が残念です、と言われるのでした。自動車修理会社の社長さんとこの営業マンとは、いつもセットで思い出されるのです。
 スペインでピアノの演奏活動している羊子が、高校を卒業するや自動車の運転免許を取得しました。免許を取ると、私の車を結構使うようになるのですが、自動車修理会社の社長さんからお礼を言われたものです。修理を頻繁にするようになったからです。また、ぶつけちゃったと羊子。ついこの間も擦り傷を作ったばかりなのですが。修理会社の社長さんが、直すことは簡単ですから、いつでもどうぞと言い、こちらは助かりますよと笑いながら言うのでした。その修業があって、彼女は随分と上手になったはずです。家族で車に乗る時は、いつも彼女が運転するのです。スペインでも車を運転するようで、こちらの証明などを取り寄せていました。事故を起こさないよう願っています。
 展示車を中古車扱いで購入したことについてはブログ記しました。そして、3度も車上荒らしにあったことも記しました。結局、別の中古車にしたのですが、明らかな中古車と思える車でした。そういう車に乗ると、つい運転が荒くなるようで、私自身が擦り傷を作ったり、へこみを作ったりするのでした。修理会社で直してもらいましたが、新車の時は盗まれるし、中古車になると修理が多くなりますね、と言われたものです。こちらの修理会社の板金術、塗装術は大変優れていると思っています。どこの修理会社も同じと言われるでしょうが、修理後は全く元のままであり、その出来栄えにはいつも感心していました。
 かなり前になりますが、社長さんが脳出血で倒れられました。しかし、軽かったので仕事に復帰しました。ある時、会社に行くと、鈴木さんは健康そうで、その秘訣は何ですか、と尋ねられました。特別に健康管理をしている訳ではありませんが、まあ言うとしたら、時々出かけるサウナかも知れませんと言いました。では、私もと言われていましたが、どうされたかは聞いていません。サウナに入ると、社長さんの言葉が甦って来るのです。
 75年間の生涯を車の修理一筋に歩まれた社長さんの上に、神様の祝福が豊かにありますようお祈り致します。車の修理と牧師の職務が重なるような思いでいるのです。車を元のようにすること、人々を一人の存在として励ますことにおいて。
<聖書の言葉>
主は、打ち砕かれた心の人々を癒し、その傷を包んでくださる。
詩編147編3節)