鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<473>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<473>
2018年12月31日「人々を示されながら」



聖書の言葉
「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」
新約聖書ルカによる福音書10章41-42節)



2018年の年も終わりになるとき、思うことは、この年も元気に過すことができたということである。それは神様のお導きであると示されている。もはや79歳にもなる時、今までは横浜本牧教会付属早苗幼稚園の園長として務めていたが、4月からは伊勢原教会に関係する認定こども園伊勢原幼稚園の園長として務める様になる。「79歳ですよ」と念を押したのであるが、お迎えくださったのであった。自宅から幼稚園まで2時間を要するが、何とか職務を果たすことができた。前任の早苗幼稚園は車で40分程度であったので、いつもは車の行き帰りであった。ところが今は電車を利用するようになる。何しろ朝は6時頃には家を出ることになり、7時頃の横浜駅は大勢の人々であふれている。こんなに大勢の人々が、毎日通勤しているのだから、何か、初めて知った様だった。今までは牧師館住まいで、通勤ということはなかったのである。世の中の皆さんは、本当に大変な思いをしながらお勤めになっていること、今更ながら知るとは、恥ずかしい限りである。
人が混みあうこと、これは朝夕の時ばかりではなく、午後2時、3時頃の時間帯でも横浜駅の構内は、大勢の人なのである。買い物、人と会うこと、いろいろな用事なのであろうが、人は混みあう状況を厭わないようである。むしろ、何も用がないのに、人出の多い場所が好まれるのであろう。先日のハロウィンでも渋駅付近の大変な混雑ぶりには驚く他はない。警察はクリスマスイブの警戒もしていたが、何とか大騒ぎにはならなかったようである。人は、やはり人の集まるところを好むのであろう。いよいよお正月であるが、混みあうことが分っていながら初詣に出かけるのである。今年のお正月は羊子の家族が一時帰国していた。彼のイグナシオさんが日本の文化を知りたいというので、1月4日であったが、鎌倉の国宝館に出かけたのである。比較的、朝のうちに出かけたので、駐車場が空いていた。少し遅くなれば、どこの駐車場も満車になるのである。それよりも4日でも鎌倉八幡宮には初詣で混みあっていた。八幡宮は階段の上にあり、下では入場制限があり、長蛇の列なのである。何時間も待ってようやくお参りをすることになる。しかし、この多くの人の中にいることの喜びを持っている人もいるのである。
人の多さ、混みあうほど、危険が伴うほどの人出は、何も日本ばかりではない。どこの国でも、何かと人出を多いことを報道している。フランスでもドイツでも、また他の国々でも、何かと人出の多いことで報道されている。目的があるには違いないが。2014年はバルセロナに滞在しており、年末年始の経験をする。12月31日は年の終わりであり、人々はカウントダウンをするために広場に集まるのである。なんでこんなに集まるのかと思う。みんなで一緒に年末年始を迎えたいのである。カウントダウンには12回の鐘が鳴り、それに合わせてカウントをし、同時に12粒のぶどうを食べるのである。それが終わると、「新年おめでとう」と喜びあうのである。この人出は1月6日の顕現祭も同じある。私たちは、そのような人出の中に行くと危険でもあるので、もっぱらテレビで知るのであつた。カウントダウンについては家でするか、知人が集まって行うのである。羊子と親しくしているホアキンさんと言う老人が知人と共に私達をお招きくださった。夕食は美味しい海老やパエリアをいただき、カウントダウンはぶどうを口に放り込みながら迎えたのである。ぶどうはあらかじめ皮をむいておくのである。この時の人出の多さに驚いたのであるが、どこの国でも、人が集まるとこには、またまた人が集まることを示されるのである。
2018年は人の多さを改めて知る年になったと思っている。人が多い世の中で、自分としての歩みをしたいものである。自分としての歩みとは、牧師を隠退しても、六浦谷間の集会として、礼拝説教を担当していることである。御言葉に向かう姿勢を持ち続けるということである。




2018年1月4日に鎌倉の国宝館へ。初詣で大勢の人が。



12月31日のカウントダウンでは、12の鐘の音と共に12粒のぶどうを食べる。



顕現祭には広場に大勢の人々が。



三人の王様、レイジェスが到来する。