鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

天国への思い( 涙をぬぐわれ )

 
 今日は二つの葬儀に関わりました。一つは、9月に亡くなられたさがみ野ホームの利用者の埋葬式です。葬儀司式をさせていただき、この度も埋葬式の司式を致しました。相模メモリアルパークさがみ野ホームの墓地があります。ホームの墓地の周辺はキリスト教教会の墓地が多く、いろいろな姿勢で召天者を埋葬しています。多くの場合、墓地には聖書の言葉を記しています。「我らの国籍は天にあり」、「神は愛なり」、「我は道なり、真理なり、命なり」、「死は勝利にのまれた」、「主よ、御許に近づかん」、「私はよみがえりであり、命である」、「我はぶどうの樹、汝らは枝なり」等、召天された人々を祝福するようにして聖書の言葉が記されているのです。墓地に佇んでは、天にあって祝福の皆さんを示されるのです。
 埋葬式は午前11時からでした。その後、午後6時からは通夜式です。お世話になった自動車修理会社の社長さんのお通夜が大和斎場で行われました。こちらは仏教の葬儀であり、連れ合いのスミさんと共に列席しました。浄土真宗の和尚さんがお経をあげていました。仏教の葬儀は、多くの場合、お経を読まれても分からないので、ひたすら終わるのを待つ感じです。でも中にはお経をありがたく受けとめておられる方もあるでしょう。キリスト教の場合は、讃美歌を歌ったり、お祈りでは黙祷したり、信者ではない方は煩わしいのかもしれません。浄土真宗の場合は、終わりの方で和尚さんが短いお勧めをします。お経は分かりませんが、このお話を聞いて、皆さんは納得されるのです。戒名の意味、念仏を唱える意味等をお話されていました。開式に当たり遺族に対して、よろしくお願い致しますと挨拶するのも好感を持ちます
 浄土真宗でありましたので、なんとなく好感を持ってお通夜に臨みました。私の両親も浄土真宗の信者であったからです。葬儀は亡くなった本人の信仰において行うべきであり、両親の葬儀は浄土真宗に基づいて行いました。焼香に来られた方は、ここの家の息子さんは牧師さんなんですってね、言っているのが聞こえてきます。和尚さんも鈴木家の息子は牧師であることを知っております。この和尚さんは社会活動にも参加するようで、社会活動を共にしている地区の牧師とも交流があり、神奈川教区議長をしていた私のことも聞いていたようです。先に母の葬儀を行い、数年後には父の葬儀を行いましたが、喪主である私といろいろとお話をするのでした。葬儀は自宅で行いました。友人の牧師たちも10名位来てくれました。通夜の終わりに当たり、和尚さんが家族に対してお話をしてくれることになりましたので、一般の参拝者は線香をあげたら帰られますが、牧師達がまだいたので彼らを呼び、一緒に和尚さんのお話を聞いてもらったのです。和尚さんは家族に向けてお話をしていたのですが、外には何やらインテリぽい人が立って聞いているので、いつの間にか外の人に向けてお話をするようになりました。賢明な牧師の中には、うなずきながら聞くものですから、和尚さんも熱がこもっていたようです。お話が終わり、お通夜が終わりましたので、和尚さんに粗食を差し上げたのですが、牧師たちも呼んで一緒に会食をすることになりました。祭壇の前でテーブルを囲み、和尚さんと牧師達がお酒を酌み交わしている状況を思い浮かべてください。前記したように和尚さんは社会活動に関心があり、共通の話題もありますが、政治、経済、社会問題などお話がつきません。外での「お清め」は終わり、もはや片付いているのに、家の中では和尚さんと牧師達のお話が尽きないのです。和尚さんは話し好きで、もっと話していたいようでしたが、周囲の事情を察知して帰えられていきました。自分で車を運転して帰られたのです。
 今日は浄土真宗のお通夜に臨んだので、私自身の昔を回顧しましたが、教会や二つの施設の皆さんの葬儀だけでも、30年間で100件くらい行いました。天におられる皆さんの上に、改めて祝福をお祈りしたのでした。
<聖書の言葉>
彼らは、もはや飢えることも乾くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。
ヨハネの黙示録7章16節〜17節)