鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

一粒の麦…(テレフォンメッセージ 11 )

テレフォンメッセージより。
 
「一粒の麦」
気候の上でも春となり、暖かい恵みの一日を喜んでいます。春は種を蒔く時です。つくづくと思いますが、あの固い小さな種粒を土の中に入れると、どうして芽が出てくるのでしょう。そしてすくすくと成長する、不思議とい言うほかはありません。土の中で死んだようになるのですが、しかし豊かな収穫となるのです。イエス様はこのことをご自分に例えてお話しをされています。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ」と言われました。イエス様が十字架で死なれたことにより、私たちが生きる者へと導かれたのです。
三浦綾子さんという小説家が「塩狩峠」という小説を書きました。塩狩峠を走る汽車の最後部の客車の連結が突然はずれてしまい、後ろに戻り始めてしまうのです。峠の上り坂ですから、客車は次第に加速して下へと戻っていくのです。その客車には二人の車掌が乗っていました。ハンドブレーキで一生懸命客車を止めようとしますが止まりません。このままだとさらに加速し、大変な事故になります。ところが客車は突然止まりました。恐怖のどん底にいた人たちは、本当に胸をなでおろしました。しかし、まもなく一人の車掌さんがいなくなっていることに気がつくのです。その車掌さんが後戻りする客車の車に自分の身を投じたのです。それにより暴走する客車が止まったのです。一人の人が死に、それにより多くの人が生きる者へと導かれたのでした。
この小説の背景にはキリスト教の教えがあり、イエス・キリストの救いと重なるのです。イエス様が十字架で死なれたので、この私が生きる者へと導かれたのです。三浦綾子さんは「氷点」という小説を書いています。人間の原罪を書いています。人間は自己満足、他者排除の姿を持っています。その姿はどうにもならないのです。人間がいくら努力しても原罪はなくならないのです。氷点という小説はそういう姿を描いています。人間がどうにもならない姿をイエス様が滅ぼされたのです。イエス様はご自分の死と共に、人の奥深くにある原罪を滅ぼされたのでした。私達は十字架を仰ぎ見ることにより、自分の救いを与えられるのです。
聖書の言葉
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ。」
ヨハネによる福音書12章24節)