鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神の変ることのない言葉…(今日はミニの日)

朝、車のエンジンをかけると、カーナビが働き、「今日はミニチュアの日です」といっていました。3と2だからミニということなのでしょう。ミニチュアといえば、最近は何でも小型化していて、便利になったのでしょうが、私のように高齢化しつつあるものにとっては、扱いにくいというのが感想です。例えば、車のラジオにしてもカーナビとセットになっていますが、操作のボタンが小さくて、扱いにくいのです。以前はダイヤルとかプッシュスイッチで操作でき、簡単であったと思います。今は触れる部分が小さくて、運転しながら操作するのは困難でもあります。それから、携帯メールも扱いにくいです。一応は携帯のメールアドレスをもっていますが、携帯でメールを送るのは、面倒という印象です。携帯で受信しても、パソコンで返信しているのです。親指を動かして、携帯でメールを送っている皆さんには、つくづく感心しています。
小型化が困ると言いつつも、結構ありがたいと思っています。一つは録音する器具です。以前はラジカセで録音していましたが、その後は小型化された録音機、カセットコーダーを利用していました。今はボイスレコーダーというものを使用しています。私の使っているものはオリンパスのボイストレックDM-1というもので、手のひらに入ってしまう小さいものです。会議等を録音し、パソコンにダウンロードさせ、記録をまとめることが出来るのです。最大48時間も録音できるので、便利なことを喜んでいます。
小型化の基はメモリーが小さくなっているからでしょう。教会では礼拝を録音していますが、カセットテープに録音しています。しかし、カセットテープはだんだんと衰退しているようです。電気屋さんに行っても、カセットテープは隅の方に置かれており、探すが大変です。今はCDとかMDが録音の手段になっています。高齢の皆さんは最新の機器を持たないので、もっても操作が難しいので、従来どおりのラジカセです。礼拝の録音をどのようにするか、検討しているところです。
パソコンを導入して、礼拝そのものを送ることが出来ます。幼稚園のパソコンを管理している会社がデモをしてくれました。会社の様子をパソコンで見ることが出来るのです。もちろんカメラを設置しています。この方式で行けば、礼拝堂にカメラを設置し、パソコンに流せば、家にいながら、パソコンを見ながら共に礼拝が出来るのです。しかし、こういうことが出来ても、高齢の皆さんはパソコンはしませんから無理な話です。将来はそのような礼拝が出来るでしょう。
以前、FMラジオを使って礼拝を流す試みをしました。周波数を合わせれば、家にいても礼拝を聞くことが出来るのです。しかし、他の電波が入ってしまうので、これは無理のようでした。教会は道路に面しており、無線を使うトラックのやり取りが入ってしまうのです。
それにしてもビデオカセットがいまだに昔ながらのものであることには感心しています。いずれDVDに統一化されるのでしょうが、ビデオカセットは今のところ続きそうです。連れ合いのスミさんはビデオカセットの愛好家で、何かと良い番組を録音しています。それだけに録音したカセットの置き場所が必要です。やはりこれは小型化しないと、文庫本と同じくらいですから場所が必要になります。
変り行く社会の中で、また際限なく発展する文化の中で、変ることのない信仰を持って歩みたいと思っています。しかし、変ることのない信仰を持ちつつも、現代の人間をどう受け止めていくかが求められています。人間の諸相は様々であり、受け止め、理解することが困難であることもあります。基は主イエス・キリストが一人の存在を大切にしたことでありましよう。
聖書の言葉
「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」(ペトロの手紙<一>1章23節)