鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

レコードプレーヤー( 新しい歌のたぐいをうたい )

 
 昨年3月末に大塚平安教会を退任するとき、教会が牧師の連れ合いのスミさんに「CDプレーヤーつきレコードプレーヤー」を贈ってくださいました。レコードプレーヤーと共にカセットやCDも聞けるので、一台で三機能の働きがあり、大変便利なものです。ありがたいことです。リビングのテレビの横に置いて置きました。引越しやら片づけやらで、残念ながらゆっくりとレコード鑑賞する時間がありませんでした。昨年の秋になって、時間のゆとりも出てきましたし、音楽を流しながら過ごしましょうと、まずCDプレーヤーを使おうとしました。そしたらリモコンがありませんし、CDプレーヤーのトレイが開かないのです。梱包を解いたとき、段ボールに残っていないか調べ、そのまま置いたのですから、リモコンは紛失するはずがありません。もっとも内容を確かめなかったことは否めません。結局、今まで使わないでいたのです。今週、子ども達が横須賀上町教会の礼拝に出席するため、土曜日から来ていましたが、改めて星子が調べてくれました。やはり使えないので、購入先に連絡してくれました。一年間は保障されているのですが、3月15日が期限でした。事情を説明したら、期限内なので商品を交換してくれるということになりました。今日、午前中に宅急便屋さんが取りに来てくれました。新しいものが来たら、毎日音楽を流しながら生活するとしましょう。今まで使わなかったことに対しては、贈ってくださった皆様に申し訳なく存じます。もっとも、CDプレーヤーは他にも何台かありますので、今まではそれらのプレーヤーで音楽を聴いていたので、音楽が流れていなかったというのではありません。
 連れ合いのスミさんは名曲については造詣が深く、独身の頃は演奏会には足繁く通い、自らのレコードで鑑賞していたようです。テレビでの演奏会を喜んで鑑賞しています。新春名曲コンサートではテレビの前にくぎ付けになっているのでした。その意味でも贈られたレコードプレーヤーは何よりのものであります。
 かく言う私も音楽鑑賞は、少なくとも若いころは趣味の一つとしていました。高校生の頃、音楽鑑賞は趣味としていました。昔は名曲喫茶店なるものがあり、コーヒー一杯で長時間店にいたものです。学校では友人たちと名曲を聴く会を開催したことがありました。清水ヶ丘教会の青年がレコードを多数持っているのでお借りしたのです。それでも20人くらいは集まりました。名曲を聴くうちにも、廊下で何やら掛け声が聞こえてきました。その日は雨でしたので、野球部がバットの素振りをしているのです。レコード鑑賞をしているので、他に移動してもらいたいと交渉したのでした。青年になって、簡易的なものですが、レコードプレーヤーを購入し、結構いろいろな名曲なるものを聴きました。しかし、神学校に入ると共に名曲鑑賞も遠のいてしまいました。その後、世の中は次第にテープレコーダーに移行していました。そして、テープからカセットテープレコーダーに移行して行ったのです。そして、今はCDの世界になり、レコード盤に緊張しながら針を乗せる楽しみが無くなってしまったのです。
 1979年に大塚平安教会に赴任したころは、まだまだレコードプレーヤーの時代でした。幼稚園の各教室にはプレーヤーが置いてあり、レコードを聴いては歌を覚えたりしたのでした。しかし、その頃からカセットテープが普及し始めたのです。カセットプレーヤーは小型で持ち運びができ、扱いがとても便利でありました。職員室にもレコードプレーヤーが置いてあり、運動会ではレコードで音楽を流していました。今はどこにもレコードプレーヤーなるものを見かけなくなりました。我が家のプレーヤーもビニールの袋に入れて棚に上げたままになっています。私のような年代の人たちが、昔のレコードプレーヤーを懐かしむ人たちがいるので、レコードもCDもカセットも聞けるプレーヤーを売りだされたのでしょう。
<聖書の言葉>
彼らは、玉座の前で、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいを歌った。この歌は、地上から贖われた14万4千人の者たちのほかは、覚えることはできなかった。
ヨハネの黙示録14章3節)