鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

竪琴を奏でると心が休まり…(礼拝奏楽 )

今日は日曜日、「日曜日は教会へ」のもとに、今日も皆さんが礼拝に出席されました。オルガンの前奏を静かに聴きます。祈りつつ前奏を耳にされておられる方もあります。オルガンの音色は心を休ませ、更に神様に心を向けさせてくれるのです。その後、オルガンに合わせて讃美歌を歌い、聖書の言葉を示され、説教により神様の御旨が示されるのです。そして讃美歌を歌いますが、礼拝の中で五曲の讃美歌を歌うことになっています。礼拝の中で奏するオルガンは重要な働きとなっています。
昔はどこの教会もリードオルガンであり、足でぺダルを踏んでは風を送り、鍵盤により音が出るものです。その後、パイプオルガンを導入する教会が増えてきましたが、それと共に電子オルガンが普及し始めました。当教会は1989年に創立40周年を迎えるに当たり、礼拝堂を改修すると共に新しいオルガンを導入することになりました。ドイツ製のアールボーンDS26という機種です。以来、今日まで18年間使用しています。
問題は奏楽者が与えられることです。当教会は、今は3名の方が順次奏楽を担当してくれています。1985年頃は9名の方が担当してくれていました。そのように毎週奏楽者が変ることに対して疑義を持つ教会もあります。奏楽は、たとえオルガンの弾ける人がいたとしても、一人が毎週担当している教会があります。大きな教会ほどそのような傾向です。当教会はなるべく皆さんが礼拝に参与することが目的であり、オルガンが弾ければ奏楽者として加わってもらっているのです。
前任の東北の教会では、教会員で奏楽を担当できるのは一人でした。その方が都合で礼拝に出席できないときは、幼稚園の先生に依頼していました。教会員ではありません。それも五本の指を使っての奏楽ではないのです。それでもオルガンの奏楽です。皆さんは高らかに賛美を捧げたのでした。大塚平安教会に赴任して大勢の奏楽者がおり、恵まれた教会であると思いました。今は3名の奏楽者ですが、ローテーションも結構ご苦労なさっているようです。
今はヒムプレーヤーという便利なものが開発されました。教会によってはヒムプレーヤーで礼拝しているところもあります。オルガンを弾ける方がいても、ヒムプレーヤーを用いています。人間は間違うからというわけです。それでは奏楽者の成長はありません。少しくらい間違えても良いのです。
当教会は月の終わりに次月の礼拝予定表を出します。それぞれの礼拝で歌われる讃美歌も決められています。したがって、奏楽者の皆さんもあらかじめ練習して当日の奏楽を担当してくれるのです。東京にいた頃、その頃は副牧師でした。主任牧師が次の礼拝で歌う讃美歌を決めるのは週の半ばでありました。決められてから奏楽者に連絡するのですが、もっと早く連絡していただきたいとの要望をいつも聞くのでした。しかしまた、讃美歌の番号をお知らせしようとすると、結構ですといわれます。その方はピアノの先生ですから、練習しなくてもよろしいとか。そういうことではないのですが…。少なくとも、当日の讃美歌を心得る意味でも、一度や二度、曲を弾いておく必要があるのです。副牧師であるので、言えないことでもありました。
東北の教会に赴任したとき、前記したように、幼稚園の先生にお願いすることがありました。その日がいつであるか分かります。すると、まだ一ヶ月も先なのですが、当日の讃美歌は何を歌うのかと聞かれるのです。聖書も説教も決めてないので、すぐには教えてあげられないのでした。そんなことで一ヶ月の礼拝予定表を作るようになりました。次月の聖書、説教、讃美歌等をすべて決めておきます。牧師自身も事前に礼拝予定表を作っておくと、便利になります。日常の生活の中で、神様の御心として示されるとき、これは第二週のみ言葉に関わると導かれてくるのです。
教会におけるオルガンは霊性を高め、賛美の声を高めてくれるのです。
聖書の言葉
「神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が休まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。」(サムエル記上16章23節)