鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

六浦谷間の集会の礼拝( 霊が告げることを聞き )

 
 今日は日曜日です。それぞれの教会で礼拝をささげられたことでありましょう。私達は六浦谷間の集会として、今日は連れ合いのスミさんと二人だけで礼拝をささげました。午前10時30分から始めました。奏楽はヒムプレーヤーを用いています。前奏は讃美歌21・83「聖なるかな」を聞きつつ始めました。招詞は詩編100編1-3節が読まれました。続いての讃美は讃美歌21・11「感謝にみちて」であります。その後、主の祈りをささげ、交読詩編42編を交読しました。次の讃美は59「この地を造られた」です。聖書はいつも3ヶ所を示されています。出エジプト記20章8-11節、コリントの信徒への手紙<一>3章18-23節、ルカによる福音書6章1-11節であり、連れ合いのスミさんが朗読しました。祈祷は、この集会の感謝と大塚平安教会、横浜本牧教会、横須賀上町教会を覚え、知り合いの皆さんを覚えつつ私がお祈りをささげました。讃美歌497「この世のつとめ」で賛美し、使徒信条を告白しました。説教は「安息日の主」、プリントしてありますので、私が読み、スミさんもプリントを見つめつつ聞きました。説教後の讃美歌は290「おどり出る姿で」です。その後は連れ合いのスミさんが感謝祈祷をささげましたが、10分もお祈りしていました。頌栄24「たたえよ、主の民」の後は祝祷です。その後、「あなたに平安がありますように」との相互挨拶をして終了です。丁度1時間でした。
 聖書日課は教団のものです。牧会手帳に記される聖書日課、交読詩編も手帳に示されているものです。説教前後の讃美歌は、教団の「礼拝と音楽」に示されているものの中から選んでいます。説教題も牧会手帳に記されているものですが、時には別の題にすることもあります。説教は四百字詰め原稿用紙に換算すれば16枚程度になります。用意した原稿をそのまま語り、付け加えることも、飛ばすこともありません。以前はメモ程度で説教をしていましたが、2007年9月より、説教はすべて原稿に記していました。そして、翌週には皆さんに配布していたのです。9月に教会の修養会が開催されました。主日礼拝がそのまま開会礼拝となりました。後日、修養会の報告書を作成するので、説教の原稿を求められたのです。その時16枚程度の原稿を作りましたが、修養会が終わっても、説教はすべて原稿にするようになりました。大塚平安教会退任にあたり、教会が説教集を発行してくださることになった時、毎週の説教は原稿になっているので、すぐに出版元に入れることができたのです。説教集「最初の朝餐」は2008年中に講壇で取り次いだものです。尚、説教はネットに載せています。
 六浦谷間の集会は、将来、集会所にするとか伝道所にするとか、開拓伝道をしているとか、そのような思いはありません。伝道者として召された者として、御言葉に向かうことは、生涯の務めであり、たとえ講壇に立たなくても、日曜日の主日礼拝を心に示されながら説教の作業が導かれているのです。御言葉が与えられているので、連れ合いのスミさんと共に示されることが導かれたのです。私達の礼拝を知った方が、御出席くださるようになり、今まで10回の礼拝出席平均は3.5人になります。たった二人だけの礼拝とは言えなくなりました。何よりも、所属する教会の礼拝に出られない方が、この集会に御出席になることに意味があると思っています。大塚平安教会の教会員ですが、今までは座間市に住んでおり、教会には出席できる位置でした。しかし、ご高齢となり、娘さんの住む追浜の家で過ごされるようになったのです。その家から車で5分くらいです。いつも娘さんに送迎されて出席されているのです。
 それにしても連れ合いのスミさんには頭が下がります。結婚して以来42年間、私の説教を聞き続けている訳です。退任したので、これでようやく他の牧師の説教が聞けるというわけで大喜びしてもよいのですが、むしろ六浦谷間の集会で礼拝をささげることは、連れ合いのスミさんの希望でありました。説教者に対する、たった一人の会衆であるのですが。
<聖書の言葉>
耳ある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。
ヨハネの黙示録2章7節)