鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

預言者たちの書き物…(新報談話 1 )

日本基督教団は「新報」を発行し、教団の歩みや動きを報道しています。その新報の四面にコラム欄があり、教団三役が順次記しています。書記を担う私なので今まで何回か記しています。私の場合は、教団における思いではなく、教会や幼稚園、施設や刑務所で心に留めたことを記しています。今日は特段に記すことがないので、今までの談話を紹介させていただきましょう。

「あるべきかは」(新報4547号 2004年2月7日)
牧する大塚平安教会は社会福祉法人綾瀬ホームと関係をもっている。毎週木曜日の朝は礼拝がささげられる。最近、利用者のSチャンが召天された。そのSチャンはお話ができないという障害を持っていたが、いつも明るく、元気にホームの生活をしていたのである。木曜日の礼拝に行き、玄関に入ると必ずスリッパが揃えて用意されている。Sチャンが自分の職務として、いつも並べておいてくれるのである。彼と出会うと、履いているスリッパを指差す。自分が用意したんだと言っているのである。お礼を述べること三回、四回、何度もスリッパを指差されるのであった。
Sチャンが召天されて、さてスリッパはと思いつつホームに行くと、やはりちゃんと用意されていた。Sチャンの仕事を遠からず心
に留めている利用者がおり、早速自分の職務とされたようである。
礼拝は約百人の皆さんとささげている。利用者の皆さんはヒムプレーヤーの音が聞こえないほど大きな声で讃美歌を歌う。礼拝が終わると、ヒムプレーヤーを事務室に持って行く人、布に書いた讃美歌の歌詞を片付ける人、牧師のカバンを持つ人、それぞれいつものように、決まった人が自分のお仕事をするのであった。
「師にのみ十字架を負わせまつり、われ知らずがおにあるべきかは」と添え書きをした賀状を教会員からいただく。牧師って、仕事が好きなんです、と言うとしたら、弁解なのか、あてつけなのか。

「小さい伝道者」(新報4555号 2004年6月5日)
教会の教勢を考えるとき、牧師の子どもの活動は大きな力でもある。幼稚園の娘が耳を損ねて通院するようになった。受付けのお姉さんに、教会においでと誘っていると言う。土曜日になると、娘は「アシタ クルッテ」と言う。しかし、お姉さんは礼拝には来なかった。子どもの言っていることだからと気にも留めなかった。ところが、その後お姉さんが礼拝に出席した。牧師さんの娘さんから誘われたものですから、と挨拶された。「ネッ キタデショ」と娘は誇らしげに言う。その後、お姉さんは出席しなかったが、医院に通院している青年に勧めてくれたので、その青年が出席するようになり、洗礼を受けた。そして、既に教会生活をしている女性と結婚したのでクリスチャンホームが誕生したのである。その娘が、小学校一年生になった。今度は担任の先生に礼拝出席を勧めていると言う。先生は忙しいのだから、もう勧めなくてもいいんだよ、と親の気持ちを言ってしまう。「来なくても良い」と言っているのかな。迎えた主日礼拝は「わたしを一人にするな」との主のお言葉であった。
昔の思い出を記したが、教団問安使としていくつかの教区総会に出席している。いろいろな伝道の取り組みを示される。それぞれの教会が置かれた状況の中で、力強く伝道していることを知る。教区総会は孤軍奮闘する牧師・教会に励ましを与え、活力、癒し、希望を与える場であるとの思いを深めるのであった。

聖書の言葉
「その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。」(ローマの信徒への手紙16章26節)