隠退牧師の徒然記<354>
隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<354>
2015年7月23日「新しい屋根の下であっても」
聖書の言葉
わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
(ヨハネによる福音書14章2-3節)
昔からの写真を整理していることについては前回も記している。段ボールの中には整理しきれないほどの写真が入っているのである。昔の写真を堀りだしては、しばし見入っているのであるが、少しは思い出を記しておこうと思う。今までも、昔のことに触れては書いているが、以前のブログは文字だけで写真はない。この際、写真の説明の意味で再び記しておくことにする。もう、ブログは書く材料がないので終わりにしようかと書いたことがある。しかし、材料が段ボール箱にいっぱい詰まっているので、当分は続けられそうである。
昔の写真を見ていると、かつてはそこに住んでいた場所が、今はないという事実を示されるのである。何よりも前任の大塚平安教会及び牧師館が無くなっている。去る6月28日に新会堂の献堂式が行われ、お祝いに参上したのであるが、かつてはこの辺にお風呂場があった、書斎があった、なんて思い出しながら新会堂を示されたのであった。30年も住み慣れた家が無くなったということで、寂しさを感じるのであるが、何も大塚平安教会及び牧師館ばかりではない。宮城県の陸前古川教会及び牧師館には6年半いたことになるが、今は新しい教会に建てかえられている。かく言う我が家も10年前には建て替えているのである。時代を経れば新しい歩みが始まるということである。しかし、写真と言うものは、その時の取り組みを改めて示してくれる。それだけでも励まされる思いである。
宮城県の陸前古川教会からお招きをいただき、4年間、伝道師・副牧師を務めた東京の青山教会を後にして宮城に向かったのは1973年3月末であった。そして、迎えた最初の日曜日は4月1日であったので、あわただしい移動であったと思う。その頃は羊子が3歳、星子が1歳くらいの頃である。牧師館は八畳くらいの和室とリビング兼ダイニングがあり、台所の横に三畳くらいの和室があったが、何のための部屋であるのか分らない。それで、教会では、新しい牧師はまだ小さい子供が二人いることもあり、牧師館を建てかえる計画を持っていた。そして4月に赴任したが、7月になり幼稚園の夏休みになるや工事を始めたのである。幼稚園舎の一部は普通の住宅である。昔はこの住宅も牧師館であったようだ。園児が多くなり、一階を保育室に改築し、二階を牧師の住まいとしていたのである。二階は二間もあり、牧師館改築中はここで過ごしたのである。牧師館が完成し、新しい住まいを喜びつつ過ごすようになる。牧師の書斎は園舎の二階部分、つまり牧師館建築中、家族が過ごした部屋である。新しい牧師館はこじんまりとした建物であったが、牧師の書斎が広かったので、牧師としてはありがたかったのである。これらの写真が残されていないことには、誠に残念である。
新しい牧師館と園舎の二階にある牧師書斎は、建物は別でも二階に渡り廊下がつけられている。そして、牧師書斎からは下の園舎に降りる階段がある。園舎に降りれば礼拝堂までつながっているので、外に出なくても牧師館から礼拝堂に行かれるのである。こんなエピソードがある。三番目の百合子がこの古川で生まれ、そろそろ幼稚園に入る頃である。夜の祈祷会があり、牧師夫婦は礼拝堂にいる。三人の子どもたちは牧師館でテレビを見ながら過ごしているのである。冬の寒い日であったと思う。いつも祈祷会には二人の婦人が出席される。時には男性も出席することもある。その日は二人の婦人の出席もなく、他の出席者もいない。大きなストーブの側で、夫婦だけの祈祷会であった。その祈祷会の終わり頃になると、三番目の百合子が決まって顔を出すのである。牧師館から礼拝堂まで、階段を降りたりしながら、道中長いのであるが、ちょこちょことやって来るのである。二人だけの集会をしげしげと見つめ、「今日は、お客さん、来ないねえ」と言ったものである。「今日は寒いし、御用があるし…」なんて言っておく。このあたりのことを「牧会メモ」に記しておいた。そして、大塚平安教会に赴任し、後に日本基督教団総会書記に就任する。日本基督教団は「教団新報」と言う機関紙を発行している。その教団新報には議長、副議長、書記そして総幹事が順次「談話」を書いている。その談話として、昔の牧会経験を書く。「お客さん、来ないねえ」と言う題にしている。祈祷会出席者をお客さんと称するのは失礼なのであるが、牧師の小さい子どもの素朴な発想なのである。この「談話」が多くの人に受け止められたのである。「礼拝説教の中で引用させていただいた」、「教会の掲示版に拡大して貼ってある」と、反響が大きかったのである。
振り返れば楽しい教会であり、牧師館であった。その宮城県の古川に行かないのは、もはや思い出の建物がないからである。NHKの番組で「にっぽん縦断こころ旅」として火野正平さんが、視聴者から寄せられた心の故郷へ自転車で訪れるというものである。視聴者は思い出の場所に行かれないが、ぜひ訪ねてもらいたいと言うのである。そして、その思い出の場所は、視聴者の手紙に書いてある通りの佇まいなのである。もう一度行きたい、との思いは昔のままの姿がそこにあるからだ。昔の佇まいがなければ、行きたいとは思わないのではないか。
宮城県の陸前古川教会及び古川幼稚園
この佇まいは今はない。昔の懐かしい思い出である。
就任してまもなく「信徒の友」の取材があった。
その時の雑誌からのコピーなので、良い写真ではない。
手前の大きなストーブを囲んでは祈祷会が開かれていた。