鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<363>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<363>
2015年8月12日「実践的に学びながら」


聖書の言葉
これらのことを命じ、教えなさい。あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。
(テモテへの手紙<一>4章11-13節)


何と言っても青山教会は、伝道者として最初に赴任した教会であり、実践的に学ばせていただいた。日本基督教団は二種教職制を貫いている。神学校の卒業時に補教師試験を受ける。合格すると、赴任した教会が所属する教区総会で准允を受ける。御言葉を伝える役目を与えられるということである。准允を受けると教会では伝道師と称される。伝道師となって三年目に正教師の試験を受ける。合格すると教会が所属する教区で按手礼を受ける。按手礼を受けると、教会では牧師と称されるのである。伝道師は洗礼を授けたり、聖餐式を執行することはできない。これらは牧師が行うのである。この様な二種教職制に疑義を持つ人がいる。神学校を卒業したのだから、すぐに教会の務め、洗礼式や聖餐式を司るべきだと主張するのである。しかし、私は二種教職制を尊重しているし、廃止には反対である。神学校を卒業したくらいで、教会の御用が務まるのか。神学校では実践神学と言い、現場の事例を学んでいる。しかし、実践神学と言っても学問なのである。現場において、実際の諸問題に関わりつつ学んでいかなければならないのである。神学校を卒業して、最初から主任牧師になる人もいるが、やはり伝道師なのであり、洗礼式も聖餐式もできないのである。そこで、教会は正教師を招いて聖餐式を執行するのである。今、毎月第二日曜日に、横須賀上町教会に行き、説教と聖餐式を執行しているのは、その様な日本基督教団の事情があるからである。
青山教会に補教師として赴任して間もなくのことである。役員会は毎月開催している。ある日の役員会が始まろうとしている時、一人の役員さんが「この役員会では、何も話し合いができない」と言いつつ、荒々しく退席していく。後で聞いたことであるが、退席した役員さんは、かねてより開拓伝道を提案していた。しかし、役員さんの多くはその提案には乗り気ではなく、話題にも上らせなかったのである。いわば提案を無視していたわけである。それで役員会を出て行ったのである。問題は翌週のことである。その退席した役員さんが礼拝の司会になっていた。礼拝前には当日の奉仕者と牧師が祈祷会をすることになっている。それで主任牧師の宮内彰先生と伝道師の私が祈祷室で待っている。司会の役員さんはなかなか現れないので、司会は私が担当しましょうか、と意向をうかがう。もう少し待ちましょうと言いながらも、ついに開会時間になる。宮内牧師は司会を伝道師に任せるのではなく、いわば自分の責任であるかの如く、自ら司会を担当し、説教を担当するのであった。結局、退席した役員さんはそれ以来教会には来なかった。礼拝前の祈祷会で、司会の役員さんを待ちながら、目をつぶりお祈りしていた牧師の姿が忘れられない。何事も牧師の責任として受け止める姿勢は、私自身の姿勢となって行くのである。
どこの教会も週日には祈祷会が開かれる。青山教会の場合は木曜日に開かれていた。どこの教会にも言えるが、祈祷会は出席者が少ないものである。以前にも、陸前古川教会時代の祈祷会のことについて記したことがある。誰も出席してなく、夫婦二人の祈祷会を見て、三番目の子供が「今日は、お客さんが来ないねえ」と言ったものである。そのことを日本基督教団の機関紙、新報に談話として記したことがある。反響があり、連絡されて来た牧師が数人いる。それ程、各教会の祈祷会は少ないのである。青山教会時代は牧師夫婦と伝道師の私とで、少なくとも三人になる。ある祈祷会では、一人の教会員が出席したので四人となる。その教会員は他の出席者が無いので、使命を感じたのか、教会の諸問題、課題、消息等をお祈りするのである。一人で何もかもお祈りしているので、お祈り中であるが、牧師は「そろそろお祈りは止めてください」と言われたのである。この声掛けがあって祈祷会が終わったのであるが、さらに時間を要したことであろう。必要なことは声をかける、大事なことであると思う。大塚平安教会時代も、長いお祈りをする方がおられた。他の方もお祈りするので、一人で何もかもお祈りするのは止めましょう、とは述べていた。お祈りする人は、他の方がお祈りしても、自分もお祈りしないと気が済まないようである。お祈りのことなので、あまり口やかましく言えないのであるが。
大塚平安教会には40歳で就任したが、70歳で退任する頃は、結構はっきりと言えるようになってはいたが…。基本的には青山教会時代に学ばせられた牧師の生き様を持っていたのである。



2013年11月3日、青山教会のお招きをいただいて講壇に立つ。
礼拝後、羊子がピアノ演奏をする。羊子は3歳まで、
写真を写している星子は1歳まで、礼拝に出席していた。



1970年8月に開催した教会学校の夏期学校。
箱根伝道所の仙石原山の家にて。
就任して二年目である。



主任牧師の宮内彰先生のお話し。



宮城の陸前古川教会時代。
三陸海岸に海水浴に行く。