鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<292>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<292>
2014年10月8日「人々の喜びを示されながら」


聖書の言葉
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネによる福音書13章34節)



 2014年10月7日は日本中が喜びに包まれた日となる。日本人の三人がノーベル物理学賞を贈られたニュースが日本中を駆け巡る。赤粼勇さん、天野浩さん、中村修一さんは青色LEDを開発し、すでに実用化しているのである。2011年にフランス・パリのルーブル美術館を見学したが、館内がなんとなく暗く感じていた。そしたらその後、このルーブル美術館に日本人が開発したLEDの証明が導入されるということを聞いている。今回のノーベル賞の受賞について、開発されたLEDを自らも使っていたのである。パソコンのマウスにこの青色LEDが使われているのである。今まで無意識に使っていたが、この研究が大きな評価をいただいたのである。大いにマウスを使うことにしよう。今はマウスがなくてもパソコンが操作できるが、やはりLEDのマウスを使ってのパソコン操作は簡単であるし、楽しいというもの。今回のノーベル物理学賞は実際に生活の中で使われており、大きな喜びとなっているので、親しみのもてる受賞となっている。人々が共に喜ぶ、そういう働きを喜んでいるのである。
日本中がノーベル物理学賞で喜んでいる時、10月7日は「神の庭・サンフォーレ」の礼拝があり、説教を担当する日であった。「神の庭・サンフォーレ」はキリスト教シニアホームとして秦野に存在している。20年も昔になるが、その頃から老人ホーム建設が徐々に取り組まれつつあった。その頃、神奈川教区で要職を担っていたので、教区内にキリスト教シニアホーム建設を提唱し、論議を進めたのである。しかし、もともと企業ではないキリスト教は、老人施設を運営するのは無理であった。それで有志が企業と提携してシニアホームを建設したのである。ホームは株式会社サンフォーレが担い、キリスト教の取り組みは有志である「支える会」が担うことにしたのである。その取り組みを始めて昨年は15周年を迎えている。「神の庭・サンフォーレ」を支える会は主事を置き、月に二回は礼拝をささげ、その他ボランティアによる「賛美の集い」、「演奏会」等でキリスト者としての歩みを支援しているのである。歴史上の関わりにおいて、今は私が委員長を担っているのである。月に二回の礼拝であり、年間に25回位の礼拝であるが、一度は担当することになっている。その担当の日が10月7日であった。
秦野の「神の庭・サンフォーレ」まで、車で1時間30分くらいあれば行かれる距離である。しかし、余裕を持って午前8時30分には連れ合いのスミさんと共に出かける。だから10時過ぎには到着する。10時30分から礼拝が始まる。入居者は30名くらいおられるが、必ずしも皆さんがクリスチャンではない。だから礼拝に出席されるのは12、3名くらいである。クリスチャンでなくても、この礼拝というものに参加される方もおられる。礼拝はお年寄りなので、讃美歌21よりも54年版讃美歌を用いている。入居される前までは、皆さんは教会で大きな声で賛美していたのである。だから小人数でも大きな賛美の声がこだまする。讃美歌の歌詞を見なくても覚えておられる方が結構おられるのである。今年の4月からは秦野西教会の貞弘範行牧師とお連れ合いの貞弘眞理さんが主事になってくださっているが、お二人ともピアノ・オルガンを弾かれる方なので、この度の礼拝も貞弘眞理さんがオルガンで奏楽をされたのである。今までは礼拝においては奏楽者がおられなかったので、ヒムプレーヤーを用いていた。やはり礼拝のオルガンは霊性を高めるのである。
 その礼拝には当日の説教者が礼拝順序や讃美歌を準備する。用意しなくても備付の聖書、讃美歌があるが、けっこう重いので、やはりプリントを用意するのが良い。その意味でも、私はいつも礼拝順序、聖書、讃美歌を入れた冊子を用意している。この礼拝用の冊子を、皆さんは喜んでくださる。季節にちなんだ花を挿入し、聖書の言葉と共に、聖句も入れているのである。カラー刷りであるので、花も鮮やかに印刷されているのである。「鈴木先生の礼拝の時は、いつもきれいなプログラムで、とてもうれしいです」との過分なお言葉をいただくのであった。この日の説教は「毎日、新しい人になる」と言う題で、ヨハネによる福音書3章1-5節の聖書から示されたのである。私達が新しい人になる、高齢であっても新しい人のようになるのは、イエス様が教えてくださった「自分を愛するように、人を愛する」ことなのである。人を見つめて生きることが、新しい人になるのであり、そこに喜びが与えられてくるということ。その人の存在が喜びとなり、私の存在がその人の喜びとなる、ということをイエス・キリストが教えてくれました、とお話ししたのである。
 ノーベル物理学賞がこのブログの導入となったが、人々の大きな喜びであるということ、それは私達の生活上のことでもある。人が喜んでくれる生き方、イエス様が教えてくれた他の存在を受け止めて生きること、それはノーベル人間賞なのである。
今日は説教になってしまったなあ…。



秦野にある「神の庭・サンフォーレ」のたたずまい。



10月7日の礼拝プログラム表紙。



裏表紙。飾っておけるように主題聖句を印刷。