鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

手話( 聞こえるようにとイエス様が )

 
 今日は横須賀上町教会の礼拝を担当しました。毎月、第一日曜日に礼拝を担当しています。その前の「子どもの礼拝」はお話をすることであり,司会は教会員が致します。午前9時30分から始まりますが、はやばやと小学校6年生の男の子が来ました。その後、お母さんと共に二人の女の子、お父さんと共に三人の女の子が出席しました。他に幼稚園の先生、連れ合いのスミさん、我が家の星子が出席しました。奏楽はヒムプレーヤーでありますが、大きな声で「さんびか」を歌っていました。礼拝が終わると、連れ合いのスミさんが、手話で「さんびか」を歌うことを教え、手話での挨拶を教えていました。子どもたちも楽しそうに手話を学んでいました。礼拝後の分級をしてないので、少しの時間、触れ合いの時をもつことは必要なことです。
 その後、教会の礼拝は10時30分から始まります。礼拝は奏楽者がおられ、オルガンに合わせて賛美が導かれます。司会は私が行いました。司会も説教も一人の牧師が担当するのです。教会員が少ないので、やむをえぬことでありましょう。今日は私どもの家族5人と教会関係者5人の10人が出席しました。礼拝が終わると、礼拝堂は週日幼稚園で使用するので、ベンチを端に片づけました。そして、お茶をいただきながら、しばしお交わりの時をもちました。12時過ぎに失礼しました。教会には駐車場がないので、貸駐車場に預けておきます。教会に駐車場がないことは、やはり課題でありますが、都会の教会の場合、駐車場がない教会が多いでしょう。しかし、都会ですから交通の便が良いので、そんなに苦労はないのです。幼稚園があれば、園庭に駐車できるでしょう。しかし、横須賀上町教会は幼稚園があっても、高台にあり、階段を上がらなければ教会にも幼稚園にも入れないのです。残念な地形になっています。
 ところで「子どもの礼拝」が終わったとき、連れ合いのスミさんが子供たちに手話を教えてあげたこと、子どもたちは喜んでいました。一ヶ月前の礼拝後に初めて教えてあげました。一人のお母さんは、子どもが家に帰っても、教えられた手話を交えながら「さんびか」を歌っていると言われるのでした。今日は「さんびか」だけではなく、挨拶の仕方なども教えてあげたのです。子どもの礼拝の司会をしていた教会の人が、私達が帰る時にも、手話での挨拶をスミさんに確認していました。他の方も興味を示していました。触れ合いのひとときです。
 連れ合いのスミさんが手話を覚えたのは、かなり昔になります。講習を受け、その後はテレビや本などで学びながら会得して行ったようです。大塚平安教会時代、幼稚園のお母さん達数人と手話の会を持ちました。月に二度くらい、教会の一室で集まっていました。そのうち、教会の壮年会のメンバーが手話の会を提案し、幼稚園のグループと合同で集いを開くようになりました。皆さんは喜んで手話を学んでいました。スミさんの手話は子どもの教会でも活躍していました。何かにつけて手話で讃美歌を歌っていました。
 かく言う私は手話については、気持ちを向けませんでした。覚えていることは必要なことであることは承知しているのですが、どうしてもその気にならないのです。人前で身ぶり、手ぶりをすることの恥ずかしさがあるのかな。そんなことは言っていられないのですが。もし手話ができたら、講壇から受付にいる人に連絡ができると思ったりしました。実際、講壇に上がり、会衆席を見ると、初めて出席した人が聖書の開き方も分からない様子を見ることになります。隣の人が、気がついてくれればと思うのですが。礼拝中に講壇から下りて行くのも、流れが乱れるというものです。手話の必要性はそんな場合にもあると思いました。
 難聴の方がおられて、説教が聴こえないという方もありました。補聴器を用意することを検討しました。目の不自由な方には点字聖書を用意していましたが、讃美歌までは及びませんでした。教会はどのような方にも対応できるようにしたいものです。
<聖書の言葉>
行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。
(マタイによる福音書11章5節)