鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

結婚式( 神様の愛を示されつつ )

 
 親しい知人が婚約者を連れてお訪ねくださいました。かねがね良き人との出会いを願っていたのですが、神様のお導きであるのでしよう。わざわざお連れくださったことをうれしく思いました。今後の結婚生活をお祈りしています。
 婚約式や結婚式については忘れられない思い出があります。最初に結婚式の司式をしたのは、青山教会時代でした。神学校を卒業して青山教会の伝道師に就任しました。その伝道師時代に結婚式の司式をしました。連れ合いのスミさんの友達が結婚するというので、私が司式を務めたのでした。初めてのことであり、緊張して臨んだことが思い出されます。青山教会で4年間務め、その後は宮城県の陸前古川教会の牧師に就任しました。数年後に結婚式の申出がありました。教会員ではないのですが、青年が教会を訪ね、ぜひ結婚式を挙げさせてくださいと頼まれました。いろいろとお話を聞くと、彼女の両親はこの結婚に反対しているのです。一人娘であるからです。できればお婿さんに来てもらいたとの事情であるのです。彼の方も一人息子であり、お婿さんになることができません。事情を分かりましたが、せつなる願いを教会にもってきたのですから、この結婚を受け止めることにしました。結婚式の当日、彼女の友人達が、結婚式の取りやめを申し出てきました。彼女の家の事情を考えたら、喜べない結婚なのです。彼は礼拝堂の隅の方で泣いていました。その時、私は決断したのです。さあ、今から結婚式を始めますと宣言したのでした。彼の家族と数人の友人達が列席しました。辛い出発でありましたが、彼は彼女をしっかりと受け止めて歩み始めたのです。その時、彼女の両親が反対でありますが、足繁く両親のもとに通いなさいと勧めたのでした。その後、彼女の両親はこの結婚を許し、彼らは祝福の生活へと導かれたのであります。農業を営み、いろいろな試みをしながら、楽しい生活をしているようでした。大塚平安教会に就任して、宮城の美味しいお米を送っていただいては、皆さんに買っていただいていました。忘れられない結婚式であります。
 もう一件の思い出があります。大塚平安教会と共にドレーパー記念幼稚園の園長に就任しました。連れ合いのスミさんが、幼稚園の一人の先生をある方に紹介したのです。ある方とは、その頃、小学生であった我が家の子供の担任の先生でした。二人の出会いの時をもちましたら、二人とも意気投合し結婚することになりました。二人は私たちに仲人を依頼されましたが、牧師であるので、結婚式が神道で行われる場合があるので辞退したのでした。その代わり披露宴では主賓としての挨拶をすることになりました。彼の主賓は小学校の校長先生でした。校長先生はさすがに教育者であり、二人のために良い祝辞を述べられました。しかし、すこし長いなあと思いつつ聞かせていただいたのでした。そして、次に私が祝辞を述べました。彼女が幼稚園で、子ども達の一人一人を大切にしながら保育していることを話しました。そして、そもそもキリスト教主義の幼稚園は、イエス様が一人の存在を大切にすることを土台としていることを述べました。その一つの例として、「レギオン」のお話です。一人の人がレギオンという悪霊に取りつかれていました。彼はいたるところで暴れ、叫んでいるのです。人々は彼を鎖で縛ったりしました。しかし、鎖を引きちぎり、墓場で大声を出していました。そこでイエス様と出会うのです。イエス様はこの人の中にいる悪霊を追い出します。悪霊は2千匹の豚の中に入りました。豚は驚いて湖の中に飛び込んでしまうのです。つまり、このお話は2千匹の豚を犠牲にしても一人の存在を大切にするイエス様を示しているのです。校長先生の向こうをはって随分と長くなってしまいました。後に、幼稚園の先生が結婚式をする時、「園長先生、豚のお話しはしないでくださいね」と先制されてしまうのが常となったものです。
 葬式と同じように結婚式も神様の御心を人々に示す大事な時なのです。
<聖書の言葉>
愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。
ヨハネの手紙<一>4章7節、8節)