鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

人にしてあげつつ…(スミさんが靭帯損傷 )

連れ合いのスミさんが右足の靭帯損傷で不自由な生活をするようになっています。18日の日曜日の夕に、教会の玄関の階段を踏み外したようです。日曜日は礼拝後に役員会が開催され、午後4時前には終わりました。一息ついてから書斎でパソコンに向かっていました。スミさんは教会員の家に届け物をしてくると言い、出かけていきました。教会の玄関を出たな、と気配を感じていましたら、書斎の外でスミさんが私を呼んでいるのです。返事をしましたが、聞こえなかったのか、再び私を呼ぶのです。先ほどより声を大きくして返事をしましたが、何も言ってきません。こんなに大きな声で返事をしているのに聞こえないのかなあ、とぶつぶつ言いながら玄関に行き、扉を開きましたら、階段の下にスミさんが横になっているのです。言い直せば倒れていたわけです。階段を踏み外したといいます。この階段は少し前に模様替えしています。教会に入るには坂道を登らなければならず、車椅子で入るには大変でした。坂道も半分は階段になっているので、車椅子が通りにくいのです。それで中途半端な階段はとってしまい、坂道だけにしました。そして、玄関に入る階段の一部も削り取りました。車椅子を階段下で横付けにするためです。スミさんはその削り取った階段の部分で足を踏み外したのでした。
すぐには起き上がれませんでしたが、私の支えでゆっくりと起き上がることが出来ました。家に入ると思いましたら、これから教会員のお宅に届け物をしてくるというのです。行く、といっても足が痛いはずです。今日は止めなさいと言いました。だいたい私の忠告は聞かない人です。それはスミさんも私に言っています。仕方なく道路まで自転車を出してあげました。それで、すっと行ってしまいました。
しばらく書斎で仕事をしていると電話があり、スミさんからで、帰りに買い物をしたので取りに来てもらいたいとのことなのです。すぐ近くのスーパーです。ぶつぶつ言いながらとりに行きました。足が痛いといっていました。自転車につかまるようにして歩いていました。夜になって腫れてきたようです。三女の百合子がカイロプラクターをしているので、診てもらいたいと呼び寄せました。「お母さんは、最近、怪我ばかりしているじゃあないの。気をつけなきゃあだめだよ」と叱りながら、足を包帯で固定していました。
そして、今日病院に行きましたら、靭帯損傷と診断されギブスを巻かれてしまいました。松葉杖の生活となりました。松葉杖というと、人の身体を支えるのですから、比較的に丈夫そうな木で出来ているという印象があります。ところが、今はアルミ製で、あんなに細くて、しかもスミさんなので、支えられるかなあと思うのでした。
この地に住むこと28年になります。前任の宮城県古川市はほとんどが平坦でした。坂道といえば川を渡る橋、線路を渡る踏み切り位で坂道はありませんでした。古川から当地に赴任したとき、坂道の多いことに驚きました。山坂が多いということは階段も多いわけです。大塚平安教会も道路から小高いところにあり、短い坂道ですが登らなければなりません。新しい会堂建築を検討していますが、入り口を道路と同じ高さにすることはいうまでもありません。
坂道が多いので、自転車に乗っても大変です。上り坂は歩かなければならないのです。自転車も大変ですが、自動車も坂道が多いと大変です。特に雪が降ると車は立往生してしまいます。教会の前の道路はゆるい坂道であり、雪が降ると走れなくなるのです。大体都会の人は雪に対する用心がありません。雪用のチェーンを備えている人が少ないのです。雪が降ってもそのまま走るものですから立往生してしまいます。
スミさんが転倒して、それでも届け物をすると言ったとき、どうして私が代わりに行ってあげなかったのでしょう。それと共に、人を思うことを優先するスミさんは偉大な人であることを改めて記しておきましょう。
聖書の言葉
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」(マタイによる福音書7章12節)