鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

あなたの信仰があなたを救った…(園長の祈り)

今日は日本基督教団の役員会で西早稲田に向かいました。小田急線の大和駅で電車を待つ間、最近出来たホームの待合室に入っていました。風が当たらなく、室内は暖房が効いているので助かります。ベンチに座っている私に声をかけてくださる方がいました。卒業生のお母さんです。その方についてはよく覚えていましたので、声をかけられてすぐに分かりました。声をかけられても思い出せない方もあるのです。
以前、電車の向かい側の席の方が私に会釈するので、これは私を知っている方だと思い、私も会釈しました。しかし、どなたであるか思い出せませんでした。大変申し訳ないと思いつつ本を読み続けていました。後日、家族で幼稚園卒業生の家がお寿司屋さんなので出かけました。そこで、お寿司屋さんの奥さんが、先日電車の中でお会いした方であったのでした。卒業生のお母さんだったのです。「園長先生、先日お会いしたとき、会釈されましたが、分かってないな、と思いましたよ」と言われてしまいました。言い訳を言うなら、卒業生が在園の頃はお母さんはお勤めであり、幼稚園の送り迎えはおばあちゃんがされていたので、お母さんについてはあまりお会いしなかったことでもありました。まあ、言い訳はともかく、思い出せなかったことについてはお詫びしたのでした。
大和のホームでお会いした人のお子さんは、もう小学校5年生になっているということでした。ついこの間と思っていたのが、もうそんなに年数がたってしまったと思わされました。この方はお子さんが在園中に東京の病院に入院されたので、会議で東京に赴いた折にお見舞いしたのです。お見舞いし、帰るときにお祈りをしました。お母さんはベッドに正座し、手を胸の前で組み、私のお祈りを受け止めてくださいました。その姿をはっきりと覚えています。今はお元気に生活されているということでした。
やはり、園児のお母さんが入院されており、お見舞いに伺ったことがありました。病室をお訪ねすると、お母さんは意識が分からない状態でした。お連れ合いとお母さんの母上様が付き添っていました。お母さんとはお話が出来ないままに、お祈りをして失礼しました。その後、お母さんは回復されました。お元気になってお子さんの送り迎えをされるようになりました。確か、お母さんのクリスマス集いであったと思いますが、そのお母さんが挨拶され、自分が病気のときに園長先生がお見舞いしてくださり、お祈りしてくれたので回復することが出来ました、いわれたのです。そのお母さんは、後でお連れ合いや母上様から私のお見舞いを聞かれたのでしょう。牧師の祈りに励まされたことは事実であると思います。その意味でも、園長を超えて牧師としての務めを幼稚園でもさせていただいているのです。
園児が入院したりすると、担任の教師と共に病院に行きお見舞いをしています。少し前はお見舞いできましたが、最近はお見舞いは出来ない状況になっています。小児の場合、家族以外はお見舞いできないのです。そのような病院が増えてきました。病院にお見舞いし、園児は園長がお祈りをすると、ちゃんと胸の前に手を組みお祈りを受け止めるのでした。そのお祈りが励みになることはよく示されています。
大和駅で卒業生のお母さんとお会いし、その後のお体の様子等をお訪ねし、今はお元気に過ごされておられることを聞きうれしく存じました。お子さんも元気に過ごされておられるということでした。今は5年生なので、来年の小学校6年生の卒業時の幼稚園同窓会が楽しみです。お母さんと共に出席することを心から願っています。
新宿行きのロマンスカーが入ってきました。それぞれの座席指定が異なるので、ここでお別れしました。新宿に向かいながら、同じ列車に乗っておられるお母さんに思いを馳せていました。昔の日々を思い起こしながら、過ぎ去る車窓の景色を見ていました。
聖書の言葉
「イエスは言われた。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』。」(ルカによる福音書8章48節)