鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

多くの苦しみを受けることを打ち明け…(受難節の始まり)

本日は水曜日です。キリスト教では「灰の水曜日」とされています。聖書では「灰」は苦しみや悲しみのときに、灰を頭からかぶり、苦しみの状況を表します。「灰の水曜日」はイエス・キリストが苦難の道へと進んでいかれる日が始まったということです。「灰の水曜日」から40日間は受難節(四旬節、レント)の歩みとなります。すなわち、2月21日から4月7日までの40日間です。日曜日は礼拝の日ですので、40日には含みません。40日間、イエス・キリストの十字架を仰ぎ見つつ歩むのです。そして、4月8日のイースター、復活祭を迎えるのです。
キリスト教の世界ではカーニバルというお祭りがあります。その日は受難節の前日になります。今年で言えば2月20日になります。受難節中は質素な生活をするので、それならば今のうちにおいしいものを食べ、楽しいことをいっぱいしようということになります。カーニバルは大騒ぎしながら一日を過ごしますが、明けた翌日は受難節です。その日からは質素な生活をし、イエス・キリストの十字架の救いを仰ぎ見つつ歩むのです。日本ではカーニバルの慣わしがありませんが、意味を知らずにカーニバルのイベントをしているところもあります。
エス様が受難を通して人間を救われたのですから、私たちもイエス様のご受難に預かる克己の生活をします。ある方はこの40日間はビールを飲まない、甘いものを食べない等、自分のもっとも好みのものを控えたりします。喫茶店でコーヒーを飲まない代わりに、コーヒー代を克己献金としてささげるのです。一区間くらいでしたら電車やバスは乗らないで、乗車賃を克己献金としてささげるのです。少なくとも昔、私の若い頃は克己献金が奨励されました。しかし、今は克己献金という言葉すらありません。40日間の意義が薄れてしまったのでしょうか。そうではありません。やはり受難節は主の十字架を仰ぎ見つつ歩むのです。
克己献金を奨励したのは、私が成長した横浜の清水ヶ丘教会でした。その頃、清水ヶ丘教会を牧会する倉持芳雄牧師は、教会暦は重く受け止める先生でした。受難節ともなれば、克己の生活を奨励します。水曜日の祈祷会では克己しつつ歩む教会員の証が行われます。その証に励まされて、教会の皆さんも克己の生活に勤めるのでした。その頃、私は中学生、高校生の時代でした。私の家から清水ヶ丘教会へ行くには、京浜急行逗子線六浦駅から南太田駅まで電車に乗ります。役30分くらいであったでしょう。その頃は特急とか快速等はありません。急行くらいであったと思います。克己の証に励まされた私は、六浦駅逗子線といい、金沢八景駅からの支線でした。それで金沢八景駅まで歩き、本線の南太田駅へ向かうことにしました。もっとも受難節のときだけでしたが。家から金沢八景駅までは歩いて40分くらいあります。40分間歩くことで主の受難に預かるという信仰へと導かれていたのです。その一区間の電車賃を克己献金としてささげたのでした。今から思えば、純真な信仰をもっていたんだなあと思うのでした。
受難節の時期は、丁度年度末から年度初めになります。この時期は幼稚園の教職員歓送迎会があり、また友人・知人等のお別れ会等があります。そういう場合、ご馳走をいただくことに後ろめたさを感じます。だからと言って、食べないわけにもいかず、苦しい選択になるわけです。一生懸命にお祈りして、イエス様のご受難はしっかりと受け止めています、と言い訳しましょう。
受難節は自分自身の生きる姿を反省してみるということで、良い期間であると思います。何か、ひたすらに前に向かって生きているようですが、ふと立ち止まり、自分の状況を第三者的に見つめてみる。気がつかなかったことが示されてくるのです。

聖書の言葉
「このときから、イエスは、ご自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」(マタイによる福音書16章21節)