鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

キリストの名がまだ知られてないところで…(佐竹順子さんの証)

毎月、第四木曜日は少しばかり忙しい日程です。まず、綾瀬ホームの礼拝があります。職員礼拝が朝8時30分から開かれ、続いて9時からは利用者の皆さんの礼拝です。終わって教会に戻り、今度は佐竹順子さん宅の家庭集会に向かいます。連れ合いのスミさんと他に出席する方があるので三人で向かいました。10時30分から集会が始まります。集会における奨励は11時過ぎには終わります。その後はおいしい食事をいただきます。今日はチラシ寿司をいただきましたが、出席された皆さんもお料理を持ち寄ってくださり、いろいろなご馳走を楽しくいただいたのでした。12時過ぎには失礼し、連れ合いのスミさんともう一人の方を教会で降ろして、今度は八王子医療刑務所に向かいました。刑務所の教誨は2時から始まります。
こうして過ごした一日でした。今日の家庭集会は13名の皆さんがお集まりでした。佐竹順子さんがお知り合いに声をかけてくださり、いつも多くの人が出席されます。第四木曜日の前の日曜日の週報には、佐竹さん宅の家庭集会が予告されます。その週報を皆さんにお配りしながら家庭集会にお誘いになるのです。そのご努力には心を打たれています。
佐竹順子さんのお連れ合い・正道さんは2002年10月7日に召天されました。その正道さんが詠まれた歌です。
「順子宅」の家庭集会十余年第四木曜日春夏秋冬
朝まだきチラシ束ねて足早に十五軒巡れりと水飲みつの妻(「教会生活雑詠」より)
家庭集会に出席される皆さんは、さがみ野ホームをご家族がご利用されている方もありますが、何らかの関わりで出席されておられるのです。お忙しい佐竹順子さんですが家庭集会は大事にされています。そのお忙しさを紹介しておきましょう。
お連れ合いの佐竹正道さんが県会議員になられたとき、正道さんに代わってさがみ野ホームの施設長に就任されました。今は退任していますが、その中にあっても家庭集会を欠かすことなく続けておられたのです。佐竹順子さんは矯風会の全国会長であり、支部を訪ねては北から南、日本中を駆け巡っておられます。また大久保にある矯風会の事務局を行き来しておられます。会長であることから、いろいろな団体の理事や役員にもなられ、そういう忙しさも加わっています。また今は日本基督教団隠退教師を支える運動の神奈川教区代表委員を引き受けておられます。日本基督教団は隠退教師を支えるため、一口百円をささげる運動を展開しています。しかし、この運動に参加している教会は、全国1,700のうち半分くらいしかありません。全部の教会が参加すると、この働きが祝福されるのです。佐竹順子さんのお働きで、神奈川教区内の教会が随分と加入し、今では107教会の60%が支える運動に加入しているのです。
高齢者の生活ホーム「神の庭・サンフォーレ」があります。設立されて8年を経ています。それより3、4年前から神奈川教区内に老人施設プロジェクト委員会が組織されました。神奈川教区内に高齢者の生活ホームを造るための調査・研究チームでありました。委員会は神奈川教区独自に建設することは困難であるので、株式会社サンフォーレと提携して建設することにしたのです。その方向で神奈川教区の総会に議案として提出しました。しかし、教区が企業と提携することの疑義が出され、論議は平行するのみでした。それで委員会は議案を取り下げ、有志の取り組みとしたのです。このプロジェクト委員会に最初から参与し奔走されたのが佐竹順子さんなのです。今も委員として、キリスト者の高齢者ホームを支え、入居者をお誘いしているのです。
教会では役員を歴任、また礼拝案内の看板を掲げるお仕事、ドレーパー記念幼稚園の理事、ドレーパー記念幼稚園後援会会長、枚挙に暇がないほど多くのお働きをされています。佐竹順子さんの主に向かう姿勢であり、信仰の証であるのです。
聖書の言葉
「キリストの名がまだ知られていないところで福音を告げ知らせようと、私は熱心に勤めてきました。」(ローマの信徒への手紙15章20節)