鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

自分の手で書いて…(パソコンに向かいつつ)

今日は火曜日ですが、さがみ野ホームの職員の礼拝がありました。さがみ野ホームの礼拝は金曜日です。最近は利用者の高齢化が進み、利用者礼拝に続いて職員礼拝を行うことが困難になりました。それで、二ヶ月に一度くらいの間隔で職員だけの礼拝を行うことにしたのです。礼拝が終わるとすぐに戻り、今度は教団に向かいました。大和駅11時34分発の小田急ロマンスカーがあるので、それに乗るためです。どうにか間に合い、予定通り教団の三役会に臨みました。午後4時30分に終わりました。帰りは新宿発午後6時30分のロマンスカーのチケットを買ってあるので、随分と余裕があります。新宿には5時30分頃に着き、まだ一時間もありますので、小田急デパートの10階に本屋さんや文房具さんがありますので、ぶらぶらと覗いてみたのでした。本屋さんを覗いていると、パソコン関係の書籍が並んでいる部分に立ちました。相変わらずパソコン入門書が沢山おかれています。それらを見ながら、私がパソコンを始めた頃を思い出したのでした。
東芝からワードプロセッサーが売り出されてまもなく導入しました。幼稚園の教職員からは、園長は新しがりやだから、と言われたものです。その頃のワープロは文字列が二行というもので、キーボードと画面が一緒になっているもので、今から考えれば不便なものでした。それからまもなく、画面とキーボートが分離した、今のパソコンに似たようなものが出来たので切り替えました。それをしばらく使っていましたが、東芝はトスワードというワープロを売り出し、早速使用するようになりました。購入してから15年以上も経ておりますが、週報作成にはまだそのワープロを使っています。その頃からパソコンというものが一般に使われ始め、新しがりやの園長はパソコンを手にしていました。しかし、ワープロで文書が出来るので、なかなかパソコンを触らなかったのです。触らないどころか、購入したまま、すなわち梱包されたままのパソコンでありました。一年以上も放置していましたが、思い直してパソコンを開くようになりました。パソコンについて、誰に教えてもらうわけではなく、入門書を購入しての取り組みでした。その頃、入門書はあってもパソコン教室なるものはありませんでした。キー操作は基本的にはワープロと同じなので会得しやすかったのですが、諸機能を習得するには随分と時間がかかったと思います。ワード、エクセルを使うようになり、メールやインターネットを手がけるようになりましたが、私の本来のパソコン使用は文書が主であり、それだけで良いのです。パソコンの便利さは、ワープロの作業とは比べ物になりません。本当にありがたいものが開発されたと思っています。
私は卓上の作業にしているので、最初からノートパソコンです。つい最近、四台目に切り替えました。最初はWindows98で、それも容量の小さいもので、いろいろとソフトを入れようとしても容量不足で入らないのです。従って、Meにしました。これをしばらく使っていましたが、最近では固まってしまうことが多くなり、また起動も遅く、忍耐の姿勢で取り扱ってきました。Xpになってからは取り扱いやすくなり、楽しく文書を作成するようになりました。パソコンは無限の課題があり、まだまだ分からない操作が多くありますが、それらを極めていくことが楽しみでもあるのです。
加齢と共に後退していく現実ですが、パソコンに向かっている限り、後退が少しは後退するのではないかと期待しています。また、パソコンを通じて私の姿を世界に発信できることを喜んでいるしだいです。何しろブログはスペイン、アメリカ、ドイツ、タイ等でお読みくださっているのです。そして、その発信が少しでも皆様の人生の参考になり、励ましとなればと祈りつつ、今日も発信いたします。
聖書の言葉
「このとおり、わたしは今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています。」(ガラテヤの信徒への手紙6章11節)