鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

主に向かって…(忙中閑詩 14 )

今日は月曜日、朝は幼稚園の門に立って、登園してくる子ども達、また保護者の皆さんを迎え、朝の挨拶をしました。最近は、子ども達も大きな声で挨拶をしてくれます。門に立つことは、園庭で元気に遊ぶ子ども達を観察することも出来ます。お正月遊びが始まっているので、必ずしも皆が園庭で遊んでいるわけではありません。元気に遊ぶ子ども達を喜びました。
10時からは年長組の会堂礼拝です。大塚平安教会の礼拝堂に集まり、礼拝をささげました。この礼拝では「主の祈り」についてお話しています。今日は「悪」についてお話しました。旧約聖書に示される原罪におよび、アダムさんとエバさんが罪におちいる姿、それは人間は誰もが持っている姿であり、私たちはいつもその悪い姿と闘わなければならないことをお話したのでした。
それで、今日は昔の牧会詩を記しておくことにいたします。

「この声を」

この声を主にささげよう
つえにすがって立ち上がり
動かない足を前に出す
思わずあげた痛みの声
そして、再び立つこと苦しくて
悲しく泣くみじめな声を

この声を主にささげよう
主のみことばに立ち上がり
喜びながらも振り返る
いつの間にか傷つけた友
そして、再び立つこと苦しくて
悲しく泣くみじめな声を

この声を主にささげよう
小さな業が祝されて
たとえ誰にも知られなく
ただひとり喜ぶときも
友らと共に喜ぶときも
うた歌い上げるこの声を

この声を主にささげよう
うれしいときも悲しいときも
苦しいときも楽しいときも
すべての声を主にささげよう
何もかもくださる主に
生きて生まれるこの声を

(1981年4月26日  大塚平安教会週報)
聖書の言葉
「主に向かって喜び歌おう。」(詩編95編1節)