鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

主の道を歩みつつ…(忙中閑詩 11 )

今日は今年最後のさがみ野ホーム礼拝を行いました。すでに幼稚園は休みになっているので、幼稚園の合同礼拝のためにあわてて帰ってくる必要はありませんでした。帰宅して週報作りを始めました。他の文書はすべてパソコンで作っていますが、週報だけはいまだにワープロで作っています。東芝製のトスワードという機種で、終わりにするのが惜しいので、とにかく使えなくなるまで使うつもりです。愛着がしみこんでいます。しかし、さすがにプリンターが良くない状態になってきています。印刷するとトナーが飛び散っています。それを修正液で消しつつ印刷機にかけるのです。もう少し我慢しましょう。
今日の夜は幼稚園教職員の感謝会です。世で言う忘年会ですが、私達はこの一年を神様に導かれたことで感謝の集いをするのです。これらのことは特段の報告はないので、例によって昔の牧会詩を記すことに致しましょう。

「生きて愛して祈りつつ」

生きて愛して祈りつつ
主イエスの道を歌って歩こう
暗い夜道を歩いているような
さびしい山道を越えているような
耐えてこらえて一人いる私
主イエスの道を歌って歩こう
生きて愛して祈りつつ
ひとあしひとあし歌って歩こう

生きて愛して祈りつつ
主イエスの道を尋ねて生きよう
つかのまの喜びをふりすてて
立っている分かれ道のかどで
なおも思いわずらう私
主イエスの道を尋ねて生きよう
生きて愛して祈りつつ
ひとあしひとあし尋ねて生きよう

生きて愛して祈りつつ
主イエスの道を歩いて行こう
いつの間にか力がわくような
いつの間にか喜んでいるような
主に変えられてひとりいる私
主イエスの道を歩いて行こう
生きて愛して祈りつつ
ひとあしひとあし歩いて行こう
(1981年4月5日 大塚平安教会週報)
聖書の言葉
「あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。」
(テサロニケの信徒への手紙<一>4章1節)