鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

わたしは良い羊飼いである(クリスマスに生まれた子ども達)

私の家族は12月生まれが3人います。一人は私の姉で、すでに天に召されていますが、24日生まれです。彼女は誕生日を迎えるたびに不平を言っていました。なぜならクリスマスのお祝いと自分の誕生日が同じであるからです。不平といっても冗談に言うのであって、信仰篤き姉ですから、むしろ喜んでいました。私が結婚して、生まれた長女・羊子は21日で、次女の星子は9日でした。クリスマスに生まれた子ども達には、それぞれクリスマスに関わる名をつけたのでした。
神学校を卒業し、東京の青山教会担任教師に就任しました。主任牧師は結構年配で、事務仕事は一切私が担当していました。初めて迎えるクリスマスです。21日のクリスマス礼拝を前に、私達夫婦はクリスマスの準備をしていました。祝会において交換プレゼントがあるので、持ってこない人のためにプレゼント作りをしていました。連れ合いのスミさんは、作業をしながら時々お腹が痛むといっていました。あまり気にもしない夫婦でした。その頃、私達は明治学院に近い芝白金に家を間借りしていました。スミさんが明治学院の職員として勤めていたからです。アパートではなく、間借りですから大家さんと同居しているようなものです。廊下を隔てて大家さん夫婦が住んでおり、二階には息子さんの家族が住んでいました。玄関もトイレも一緒に使っていました。時々私達の会話が大家さんの奥さんに聞こえていたのでしょう。その奥さんが声をかけてくれました。「その痛みは陣痛ですよ。早く病院に行きなさい」と言われ、初めてあわてだしたのでした。病院も高輪にある船員保険病院で歩いてもいけるところでしたが、タクシーを呼び、病院に駆けつけたというわけです。看護婦さんは、生まれるにはまだ時間がありますと言い、ここにいても何もしてあげられませんからお帰りくださいと言われました。それで私は帰宅し、残りの仕事をして休みました。
翌日はクリスマス礼拝です。朝7時前には青山教会に行き、その日の準備を始めていました。8時前に主任牧師が電話を取り次いでくれました。病院からでした。看護婦さんが、女の子が生まれましたと知らせてくれました。そこで喜ぶものの、だからと言って病院にはいかれません。これから大事なクリスマス礼拝が始まるからです。礼拝があり、続いて祝会が行われ、昨夜準備した交換プレゼントも使われ、3時頃に終わりました。それから片づけがあり、教会を後にして病院に向かったのは4時頃でした。ようやく生まれた我が子に対面したのでした。クリスマス礼拝の朝に生まれたという恵みを感謝した次第です。
しばらくスミさんと生まれた赤ちゃんと一緒にいましたが、いつまでもいるわけにはいかないので帰宅しました。大家さんからお祝いの言葉をいただくものの、一人で家の中にいるのも落ち着かない気分です。それで近くのおすし屋さんに出かけ、一人で乾杯をしたのでした。
クリスマスには羊飼いと羊が登場しますが、イエス様が人々に教えを示したとき、「わたしは良い羊飼いである。あなたがたは羊飼いに導かれる羊である」と言われています。従順な羊となることを願いつつ、私達は「羊子」と命名したのでした。
それから二年後の12月9日に星子が生まれました。二番目の子は、すでに心得ているので順調に出産準備ができたと思います。出産間近になって、スミさんの母が来てくれました。羊子がまもなく二歳になろうとしています。第二子が生まれたとき、アドベントのときであり、東の国の博士が星の導きのもとにイエス様にお会いしたことを示され、「星子」と命名したのでした。それと共に、「よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう」(フィリピの信徒への手紙2章15-16節)との言葉を示されたからでした。
こうして我が家は二人の子どもがクリスマスに生まれ、二人の誕生日とクリスマスを一緒にお祝いするものですから、姉と同じように不平が出たものです。不平を言いつつも、やはりクリスマスの喜びを共にできるのですから、二人とも祝福の誕生日になっています。
聖書の言葉
「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。わたしは羊のために命を捨てる。」(ヨハネによる福音書10章7節〜)