鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

支えの御手(忙中閑詩 12 )

今日は土曜日であり、祝日でお休みでもありますが、今日が土曜日である限り、私は休みではありません。明日が日曜日であり、準備をする日であるからです。何よりも明日はクリスマス礼拝です。続いて祝会があり、更に聖夜礼拝があります。それらの集会を心に留めつつ今日は準備の日であるのです。まず礼拝のメッセージの準備です。そして、週報作りもあります。頼んでおいたローソクを取りにいかなければなりません。冨士見ボールを更に海老名方面に行くと長谷川仏壇店があり、そこにローソクを頼んでおきました。数日前に買いにいきましたら、聖夜礼拝で使う3号のローソクがなかったので注文しておいたのです。一年に一度しかいかない店です。店の人も私を覚えていて、「クリスマスですね」と笑顔で迎えてくれました。「ポイントカードを作りましょうか」と言うので、「一年に一度しか買に来ないのでいいです」と断ったのでした。こうした準備で一日が終わりました。他に特段記すことがないので牧会詩を記しておきます。

「母のような」

遅くてよろしいと言い
できなくてもよろしいと言う
そばにいて励ます声優しい声
せつない気持ちを喜びに
かえてくれるあたたかい声は
母の声、主イエスの声

泣いていればそばに立ち
いつまでもそばに立ちつくす
慰めてくれる声やさしい声
悲しい気持ちを安らかに
かえてくれるうれしい声は
母の声、主イエスの声

私のかわりにきたなさを
私のかわりにみじめさを
すすんで受けたそのすがた
私のために何もかも
良きもの与える柔和な方は
母の姿、主イエスの姿

今日のひとひを歩むときも
安らかに眠る夜のあいだも
手をあわせて祈りつづける
ひたすら私のしあわせを
祈り願う希望の方は
母の姿、主イエスの姿
(1981年5月10日 大塚平安教会週報 )
聖書の言葉
「絶えず祈りなさい。」(テサロニケの信徒への手紙<一>5章17節)