鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

天の財産を受け継ぐために(忙中閑詩 2 )

今日は木曜日であり、綾瀬ホームの礼拝がありました。午前8時30分から職員礼拝、9時からは利用者の礼拝でした。今日は綾瀬ホームの礼拝が終わるとさがみ野ホームにいきました。10時から職員礼拝を行なうためです。さがみ野ホームは毎週金曜日が礼拝の日です、さがみ野ホームは、今は毎週、職員と利用者の合同礼拝です。利用者の高齢化で利用者の礼拝に続いて職員礼拝を行なうことが困難になってきたからです。合同礼拝はどうしても利用者向けのお話しになります。それで、深めてお話をするためにも職員礼拝を隔月に一度ですが行なうことにしたのです。これらの両ホームの礼拝については既に示していますし、これからも書く機会があるでしょう。それで、他に特段書くべきことがないので、昔の拙い詩を紹介することにしました。

「祈りつつ」
この朝祈った今日の日を、
「人を愛せ」のいましめに
力強く生きるよう、
励んですごしたつもりです。
けれどもわたしは知りました。
好みし友と語らって
心を閉ざす友もいた、
うわべだけの主の道を
みにくく歩んでいたのです。

この朝祈った今日の日を、
「善を行え、施しを、
忘れてならぬ」のみ言葉に、
励んですごしたつもりです。
けれどもわたしは知りました。
善を行うそのたびに
投げて与えて施した、
高ぶる思いで主の道を
みにくく歩んでいたのです。

この朝祈った今日の日を、
励んですごすそのために、
どうぞ真実生きさせて
どうぞ導きくださいと、
祈りを重ねて歩みます。

(1981年1月18日 週報)

聖書の言葉
「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。」
(ペトロの手紙<一>1章3-4節)